個人ブログのジャンルというのは最初から完璧に決めてスタートできるものなのか?
最初からガッチリと設計してブログを作っていくべきなのか?
当然、ジャンルをしっかり決めてから書きはじめることはできるし、設計図をまず描いてからブログを構築していくこともできます。
でもある程度の記事数を書いていった先で「本当にこれでいいのか?」と自問したことはないですか?
いま書いていることを書き続けられるか不安になってきた、もっと他のことを書きたくなってきた…
そういうとき、また新しく別ドメインを取得してブログを新設するのか?
そんなことやってたら一体いくつブログが乱立していくのか…
すべてを管理していける気がしないのだが…。
そうなります。笑
複数ブログは正直かなり大変です。
ならば個人ブロガーとしてはどうすれば良いのか?
それなりに収益も期待したいし、かつ迷いなく書き進めていけるブログとは…。
その答えが、
「人生ブログ」
なのです。
人生ブログとは。
普段の生活のなかで「ジャンル」などを考えなから生きていませんよね。
そもそも日々とりくんでいることを一つ一つカテゴライズしながら進めるなんて不自然です。
自然体で書いていると、ジャンルにとらわれない書き方になるわけですよね。
ブログ界隈では、それを「雑記ブログ」というわけですが。
雑記ブログこそ自然体で取り組めるブログのかたちなんですね。
で、そのブログ界隈では、
「雑記ブログは稼げない、特化ブログにしないとダメだ。」
とも云われます。
だからブログで稼ぎたいとなれば、なにかひとつのテーマに特化したブログを作っていく。
この一連の思考の流れは分かりますけどね。
ただ特化ブログはとても行き詰まりやすい。
そもそもひとつのテーマに特化しつづけて書けるほど自分に専門性があるのか。
目指す完成形があってそれを地道に構築していく過程で「これで本当にいいのか?ずっと進めていけるのか?」と自問しはじめると、方向転換がきかない。
結果、更新の止まった中途半端なブログだけが残る。
これはよくある話です。
では、僕ぼっくりの云う「人生ブログ」とは?
これは、雑記でも特化でもない。
というか、ジャンルという概念をここで捨てます。
ジャンルは、あなた。
読者は、あなたに共感する人です。
カテゴライズは後で。
あなたが今想っていることを書いていきます。
日々「カテゴリー!」なんて考えながら生きていないように、自然にそこにあるテーマについて書く。
それらをカテゴライズするのは、ずっと後でいいです。
いま自分の気持ちの向いているもの、熱を込めているもの。
それについて書いていることが、そのブログのその時点での「特化ジャンル」です。
そしてそれが自分の興味関心とともに、年月を経て変遷していく。
これは人として自然ですよね。
1年、3年、5年、10年と生きているなかで、生活をとりまく環境もスタイルも変遷していきますから。
自分についてくるブログ、自分とともに歩むブログ、そのときの自分を表現するブログ。
そしてそれが個人の日記ではなく人の役に立つ「情報」のカタチをしていれば、ちゃんと世の中に有益な存在として在ることができる。
そのときそのときで、頭のなかって何かに特化していますよね?
仕事を頑張っている、家族と過ごす時間をなにより大切にしている、趣味に没頭している、生活の質にこだわっている、健康を求めてこんな運動をしている、シンプルな思考をめざして身のまわりも整頓している、効率性を高めたくてタスク管理に工夫をこらしている、などなど…
このように今あなたが熱を込めているものが、人生ブログの現在の特化ジャンルになります。
書いたものをカテゴライズするのは、ある程度ひとつのテーマで書いた記事の数が溜まってからでよくて。
10とか20記事ほどテーマの近いものが溜まれば、それをひとつカテゴリーとして新設します。
読者からすると、やはり分類されているほうが読みやすいですからね。
まだ分類するに至らない記事は、すべて「雑記」カテゴリーに入れておけばOK。
カテゴライズすること自体に意味はなく、あくまでブログ内を回遊してくれる読者の利便性のためです。
自分の人生のそのときどきのベクトルを、カテゴリーで分けること自体がそもそもナンセンスですからね。
あくまで読者の利便性、カテゴリーの意味合いはそれだけです。
YMYLなんて無視で。
Your Money, Your Life.
その略、「YMYL」。
ここに関わる分野といわれる、医療・健康・美容・金融・経済あたりは、人の人生にあたえるインパクトの大きいジャンルとされていて、Googleなど検索エンジンが検索上位表示について特にコントロールを強めています。
この分野については官公庁や企業サイトなど、信頼性と権威性のあるサイトしか上位表示されないようコントロールされているんですね。
個人ブログとしてはなかなか上位に食い込める領域ではありません。
じゃあ個人ブログでYMYL領域について書くことには意味がないのか?価値はないのか?
僕はあると考えています。
なぜなら、たとえば。
美容整形について知りたいけど、調べてみたらクリニックのやっているサイトばかりが出てきて、本当に見たかった個人の感想や口コミにたどりつけない。
ダイエットについて調べたら、医学的根拠のしっかりした厚生省のページなどは出てくるけど、見たかった「個人がダイエットの過程を発信していて励みになるブログ」にたどり着くには検索キーワードを工夫しないと見つからない。
おなじくらいの収入レベルの人のお金のやりくり方法を見たかったんだけど、調べてみたらお金の専門家のコラムばっかりが出てくるじゃないか、みたいな。
「いやもっと、身近な例を見たいんだよなぁ…」
というニーズは存在します。
信頼性とか権威性とかはいいからサ、
あのぉー…個人ブログないですか?
みたいな。
だから、なんとかそこまでして探して個人ブログを見つけてくれた人には、ちゃんと価値があるんですよね。
なにもかも上位表示されないと価値がないわけではありません。
検索で上位にある、信頼できます!権威あります!みたいなのが書いている画一的な内容にもう飽き飽きしている人は、なにげに多いのですよ。
検索結果がマジメにまとまりすぎていて、面白くないんですね。
もっとラフなものを、肩のチカラが抜けるようなものを、気軽に読みたい。
そのニーズはあります。
ただ儲かるほどのボリュームじゃないので、「ブログで稼ぐ」系ブームのなかで軽視されているだけ。
でも、儲かる記事じゃないと価値はないのか?
直接的に上位表示をねらう記事にしか意味はないのか?
もったいないですよね、その偏った考え方は…。
意味も価値もあるのに、「稼げない」だけで捨てられている。
それを読みたい人はいるのに。
YMYL分野で個人の意見や感想について書いていると、稼げないブログになっちゃうのか??
答えは「NO」です。
直接的にそのページでアクセスを集めようとするから、YMYLの壁に弾かれてしまうだけです。
美容医療・ダイエット・クレジットカードなどYMYL系分野の収益記事を書いて単体ページで勝てなくても、他のページからアクセスを流せばよいのです。
一見クレジットカードの成約には遠そうな記事でも、クレジットカードの成約につながりそうな属性(年齢・所得層・ライフステージなど)の読者があつまっていれば、一定数は内部リンクからYMYL系記事にアクセスしてくれます。
YMYL分野で強すぎる競合と戦わず、YMYL分野で獲るわけですね。
これも簡単ではないのですが、「可能である!」ということはお伝えしておきましょう。
収益うんぬんではなく、この項でお伝えしたかったことは、
「上位表示されないページにも価値はしっかりある!」
ということです。
E-E-A-Tは別にエラくない。
経験値、専門性、権威性、信頼性…
耳にしただけで威圧感のあるコトバ…。
存在感たっぷり、どっしりした印象ですよね。
そんなもの、個人ブログには無いんじゃないの?と。
E-E-A-T(Experience-Expertise-Authoritativeness-Trustworthiness)とは。
ブログにおける、経験ー専門ー権威ー信頼とは。
また先ほどのYMYLごとく官公庁や企業サイトをついつい思い起こさせられますが…
そうとも限らないのです。
では、この例で考えてみてください。
コーヒーが好きだけど、そんなに今までこだわって飲んできたわけではない。
でもお歳暮でドリップバッグコーヒーのセットをもらったので、これを機にコーヒーについてブログに書いてみよう。
A社のコーヒーをもらったんだけど、せっかくだから飲み比べしてみたくて、B社のとC社のをスーパーで買ってきて比較してみた。
結果、私はA社のが好きだったなぁ。
なぜなら純粋に濃くてコクのある味だったのがAで、BとCもおいしいんだけどスッキリしていた。
個人の好みなんだろうけど、私はAが好き。
じゃあ、メーカーのA社が自社商品について
「うちのコーヒーは美味いです!めちゃくちゃウマいのです!」
と言うのと、どっちに価値があるのか?
経験?専門?権威?信頼?…ある?
たぶんこの場合、個人が言っていることのほうが参考になりませんかね。
個人が身銭をきって飲み比べした結果、「Aがおいしい」。
それに対し、A社が自社の商品を「自信があります!」。
どっち?
信頼性として、ここは個人のコトバに重みが出てきませんか。
経験として、それを語っているわけですから。
では、このABC比較をきっかけにコーヒーにハマって、DEFGH…とたくさん比較してみたら。
ドリップバッグだけでなく、レギュラーコーヒーの粉にこだわりはじめたり、豆で買いはじめたり、いろんな道具にもこだわってみたり、ついには原点回帰してインスタントコーヒーの好みを追求してみたり…笑
そうなると、個人であっても専門性というところにまで進出してると感じませんか。
そして気付いたらコーヒー情報が満載のブログになっていた…
よくもまぁ300記事もコーヒーについて書いたよなぁ…
…こうなったら、もはや権威性のあるブログになっていますよね。
とある読者からみたら、「コーヒーにくわしい○○さん」になっているわけです。
つまりですが、権威性やE-E-A-Tなどといわれるものは、なにもエラい人だけのものではありません。
ただの消費者である、エンドユーザーである、そんな我々のものでもあるのです。
しかも経験談としては、企業や組織よりも「個人の声」にこそ信頼が生まれたりしますよね?
利益だけじゃない、ステマじゃない、ほんとの個人の声にこそ価値がある。
そんな価値のこもったブログを、気がついたらごくフツーの自分が作れていた。
長いことブログをやっていくなかで、気がつけば何かひとつについて記事数が積み上がっていた…
そんな1記事1記事の積みかさねの延長に価値が生まれていく。
普通にあることだと思います。
「権威性」などと響きだけはとてもエラそうですが、何てことはない、普通に書いていく延長にあるものです。
どう収益化するのか。
人生ブログ、自分の生きざまそのままを書いていくブログ。
それだけで満足できたらいいんだけど、やっぱりそのブログを収益化したい。
そう思ってブログを始めた方も多いわけですが。
人生ブログは収益化できるのか?
…について。
「できます。」
僕ぼっくりは現時点で20年とかなり長いあいだブログを書いてきたのですが、収益を狙っては3年ほどです。
そのなかで、どうやったら売れるのか?
ブログで稼げるのか?
あれやこれやと悩みつつ書きつづけ、なんとか収益化にこぎつけて、今は「稼げている」といえます。
複数やっているブログのなかには、がっつり「商品カタログかっ!」というほど売ることだけに特化したブログもあれば、売りっ気はまったく無さそうでひそかに収益ポイントを仕込んで稼いでいるブログもあります。
どうすれば「人生ブログ」を収益化できるのか。
それは、「そこに広告を置くこと。」これだけです。
どういうことかというと、ひとまず収益などまったく気にせずブログを書くのです。
そして文中にたとえば「コーヒー」という語句が出てきたら、商品レビューや比較をしたページに「コーヒー」という文字リンクにしてつなぐ。
もしくは、直接的にコーヒーのアフィリエイトリンクになっている文字リンクにする。あくまでリンクのかたちは文字リンクとし、「コーヒー」に興味のない人にはそのまま読み進めやすいかたちになっている。
コーヒーについて気になった一部のひとだけが、その文字リンクをクリックしてたどるわけです。
読み物として文章の妨げにならないように、文字リンクというかたちをとります。
そういった、商品につながる経路をつくっておくだけ。
気になる人はクリックするし、気にならない人はそのまま読み進む。
ただそこに広告がある、商品に行きつく経路がちゃんとあることは大事で、それ無しにブログで収益化などあり得ません。
気になったときに、そこにあること。
これは大事で、そして逆にいうと、それだけです。
ちゃんと商品にたどりつく経路があること。
それが適切な位置に、適切な量だけあること。
文章を書き進めていくなかで、読者の心がどう動いているかを意識して書けるようになってくれば、どこに文字リンクを置けばよいかが分かってきます。
関係ないところに置いてもほとんど売れませんが、文脈のなかでそのモノの魅力や必要性を感じられた直後に文字リンクがあれば、それなりに売れるものです。
そしてそういった経路がブログ内いたるところにある、そのカタチになっていれば良いわけです。
積極的に売りたいページなら、オススメ商品やサービスのまとめ記事や、自分的ランキング記事、1商品の徹底レビュー記事でもいいですね。
普段は売りっ気のない記事がメインですが、そんな記事からもときどき売りたいページへとリンクでつないでおく。
この収益導線があるかないかだけでも、将来的に結果は大きく違ってきます。
まあ当然ですが、売れる導線や商品がないブログからモノは売れません。
あくまで文章や内容に魅力があり、読み物として楽しく有益で、読者は「著者」にその価値を感じている。
あなたのファン、あなたの文章や物語がすきなファン、あなたの人生ブログに共感しているファン。
そしてそこに、たまにCMがある。
それだけです。
売るアイテムは必要。
たまにCM…といっても、そもそも自分が扱える広告がないと収益化のしようがありません。
そのためにASPに登録し、広告主とあらかじめ提携しておく必要があるのです。
あえて「オススメ!」と言って積極的に売るでもいいですし、さりげなく文字リンクを貼っておくでもいい。
そもそも広告があり、ちゃんと自分の報酬になる仕組みにしておかなければブログでは稼げませんので、ASPには登録しておきましょう。
基本的にどれも登録無料です。
参考:アフィリエイトでおすすめのASPサービス3つ。これだけでOK。
楽しんで書いていける人生ブログでも、稼ぐには広告が必要です。
そしてブログ文章での売り方もまた、知っておいて損はないです。
売れる書き方を知っていてあえて崩すのと、知らなくて売れずに悩みながら書くのとでは、文章がまったく違ってきますからね。
まずは文章でのモノの売り方も、アイテムとして持っておくほうが良いでしょう。
この知識があるかないかで、自分の努力がちゃんと収益として返ってくるブログになるかが決まるのは確かです。
参考:質の高いブログ記事を書くための手順を徹底解説!【決定版】
正しい方法を知ることは、最初に必要な投資のひとつですね。
個人ブログは一種のコミュニティ。
個人ブログ、人生ブログは、あなたの人となりに惹かれて集まった人たちが読者です。
読者は、あなたに似た人たち。
あなたは、あなたに似た人たちの気持ちがわかります。
自分のことですから。笑
だからペルソナが、自分なんですね。
そんな自分も年月とともにライフステージが変わっていくので、テーマも自然と変遷していくわけです。
じゃあそんなブログは、カテゴリーやジャンルが散らかってしまうんじゃ…
まぁ、そうですね。
でもそれは、まだ50記事とか100記事とかの話では、です。
300記事に到達する頃には、ある程度まとまっているはずですよ。
なぜかって?
たとえば、キャンプが好きだから書こう、節約術について書こう、旅行のことも書き残しておこう、投資についても書きたい、仕事のことは無限に書けるな…などと散らばりながら始めたとしても。
それぞれ全部が300記事みたいなボリュームで書けるかといったら、そうじゃないでしょう。
最初は調子よかったのにAカテゴリーは50記事でネタ切れしたとか、Bカテゴリーはだんだん興味なくなってきて20記事で止まったとか、Cカテゴリーがなんやかんや熱が冷めずに書き続けられて今150記事だとか、それぞれに熱量がちがう。
そして5年後、10年後と考えたとき、どれが残ってるでしょうか。
そんなことって、その時にならないと分からないものですから。
だから、とにかく書き進めていれば、勝手に整理されていきます。
そして過去の記事は、どれも消さなくて良し。
いま熱意のあることを書き進めていくうちに、ブログ全体でみた割合はどんどん小さくなっていきますから。
700記事や1000記事に到達したとき、20記事で止まってしまったテーマなんて割合としては無視できますよね。
そのままでいいんです。
人生ブログなんでね、今は想像つかないでしょうけど、行く先はそれくらいのボリュームになっていきます。
熱量の違いがそのままブログジャンルの割合になっていくので、それを見るのも面白いですし。
より熱量のあるコトへの特化寄りの雑記ブログになっていく。
そして10や20程度の記事数のものも、人生の記録としてそれはそれで面白いですよ。
あなたのブログに、読者がついてくる。
500記事も1000記事も書いた上でついてきてくれている読者は、どんな読者?
それは、あなたにそっくりな、すっかり自分みたいな読者さんたちだと思います。
自分みたいな価値観をもった人たちのコミュニティのような状態。
リアルに交流を持つか持たないかに関わらず、そこに集まっています。
あなたの文章でもって、今までずっと会話してきたんですね。
もう交流してるんです。
あなたに集う人たちのコミュニティのような、そんなブログ。
あなたの生きざまや価値観そのものに価値がある状態です。
だから見た目がキレイだとかカッコイイとか、そんな理由で企業サイトや人気サイトのまねをする必要はありません。
そこが価値じゃないのでどっちでもいいですし、むしろ特徴を消しにいっているようなもの。
個人ブログの持ち味はやはり「個人の声」であって、大手メディアみたいに万人受けし普遍的なものになるほど、完成させるほどに面白くなくなり…。
美しくなるほど完成品に近づくほどに個人メディアとしての価値は薄まり、そして陳腐になっていきます。
価値はそこじゃなく、見た目でもトレンドでもなくて、敢えてよくあるものにならないほうが良いわけです。
もうすでに価値あるあなたの自然体、自然体でもって書いたほうがいいんですよ。
内容でこそ差別化するべきで、やはりブログの本質は文章と内容そのもの。
そして個人が自然体で書くことこそが差別化であり、あなたにしかできないブログのカタチです。
頑張ると続かないし、頑張らなくても書ける、楽しんで書くスタイルをとりましょう。
何よりこれは継続してこそ出来てくるカタチ、人生とともに歩むブログなので、自然体がいちばんです。
人気者のマネをするのも良いですが、それよりも自然体であることのほうが大事で、そしてそれこそが価値です。
自分の価値。
自分の価値に読者がつくならば、自分をうまく言語化していかなければならない。
けど、そんなこと最初からうまくできるわけがない。
だから下手でもいいので、ひとまず書きはじめないと始まらないのです。
そうして書いていくこと自体が、のちに自分をうまく言語化していくためのトレーニング。
その過程もまた価値であり、それが人生ブログです。
できなかったことが、できるようになっていく。
そんな成長の過程もが人生ブログの価値なので、臆せず書いていきましょう。
肩のチカラをぬいて自然体で、いま書けることを書ける技量で書いていけばいい。
意気込まなくてもいいんです。
そのままがいいんです。
人生ブログはもう始まっている。
こんな、自分の人生とともに歩むブログ「人生ブログ」ですが。
もう始まっていますよね。
人生ブログのかなめ「人生」はもう始まっていますし、ネタはこれから死ぬまで尽きません。
いままで思っていたこと、いま思っていること、これからしたいこと、などなど。
なんでもいい、人生すべてを題材にして。
もうとっくに特化だ雑記だというブログ論からは外れていますよね。
それよりも、コラムニストやエッセイストのような執筆スタイルに近づくはずです。
あなた自身がブログの価値。
なに書いたって自由なので、ときどきガッツリ売りにいってもいいし、基本はなにも売らなくていいし、YMYLだかE-A-Tだか気にもせず、だれかに届いたときに「良かったな」と思われるのであれば。
まぁ、基本ポジティブな内容にはしたいですかね。
ブログで収益化を目指すのもいいんですが、結局はモノを買うか買わないかなんて読者さん次第ですから。
そこを無理やりコントロールしようとして、とても読み物としてつまらなくなってたり、ハウツー通りのよくある流れだったりと、1記事だけのお付き合いで終わるブログは多いものです。
収益が目的というのも正直いうとつまらないキッカケであり、なんともお下劣な動機なんですね。
いや…僕もですけど。笑
記事のどれもが検索上位に入るなんてそもそも無理だし、検索結果なんてべつに自分のブログの理想読者が決めているわけではないので、そんなことに一喜一憂するくらいならいっそ無視したらいいんです。
ブログをやるうえでの最低限の知識だけあれば。
人生のよしなしにこそ一喜一憂するべきで。
書くこと自体を楽しめたとすれば、それがどれだけ素晴らしいことかと思いませんか。
書くことが楽しくて、読者にも楽しんでもらえて。
収益性などはそこにあくまでオマケとして付随するもの、
SEOや検索表示順位なども有ったらイイナのひとつにしか過ぎず、
あくまで文章や内容を楽しめて、そして役に立ち、ポジティブになれるような、
そんなブログ。
結果的にそれは続けられるし、徐々にでも淡々と読者は増えつづけ、より価値観のあう人たちが集い、経過とともに濃くなり、あらゆる数字が上向きになることで、望む成果もまた付いてくるでしょう。
あなたの人生はカテゴリーなんかで分類できないので、あなた自身がカテゴリー。
そんなブログ。
それはあなたにしか出来ないブログです。
人生とともに歩む「人生ブログ」が、個人ブログとしての究極。
僕ぼっくりはそう唱えます。
僕も人生ブログやってますよ!
あなたもぜひ。