じゅうたん的思考回路

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●短編脳●
 オレンジのじゅうたんに寝転んでぼんやりと映画をながめ、そのまま眠りに就いていく。見ているのは短編の映画集なので、好きな作品はしっかりと見て、あまり気の乗らない作品はチラチラ見る程度でやりすごしてしまう。いつも頭にはお気に入りの作品がフワフワと舞い踊っていて、そんな中でゆっくりと夢の世界に入っていくのだ。
 お気に入りといえばゆったりやさしく展開していく作品が多く、やっぱり自分はのんびりしたものが好きなんだろうなあ、と思う。

 今日は早朝からタツのサッカーの試合があって、見にいってきた。タツはダッチョのいちばん下の弟で、タツのふたつ上のリョウは同日「大文字駅伝」という京都市の小学校対抗の駅伝大会に出場する。そんなわけで、ダッチョの家は朝から大さわぎだった。おばちゃん手作りの弁当をもって、俺とダッチョはタツのサッカー観戦に、おばちゃんはリョウの駅伝観戦に出発した。
 京都市をはずれ宇治市に入るあたりで雪がチラつきはじめ、宇治田原の会場グラウンドに着くころには大粒のぼたん雪になってしまった。
 タツは到着後すぐチームのメンバーに合流していって、俺とダッチョは試合開始まですることがなくなってしまったので、近くにある「天ヶ瀬ダム」を見にいくことにした。実はダッチョは無類のダム好きなのだ。俺はそんなにダムが好きというわけではないが、幼少の頃に見たダムの迫力をまた味わいたいな、と思って即座に賛成した。

 車でダムに近づいていくにつれ、そのどデカイ迫力に圧倒されていく。今にもゴゴゴと動き出しそうな巨大ロボットを思わせるその風体にしばし見とれて、二人で静かに合掌。が、あまりのんびり見ていてはタツの試合が始まってしまうので、急いでグラウンドに戻る。
 無事試合開始に間に合い、観戦。この試合は地区選抜チームの対抗戦で、タツは左京地区選抜に選ばれているのだ。キャプテンマークを腕につけて出場したタツは、雪でぬかるんだグラウンドに少々てこずりながらも活き活きとプレーしていて、それを見ているとなんだか目頭が熱くなってきてしまってマイッタ。歳をとったのかなぁ。
 タツは自分のプレーに納得がいかなかったようで落ちこんでいたが、俺にはとても立派でかっこよく思えた。ダッチョはばりばり硬派のサッカー人間なので、試合後タツに的確な指摘をしていたのが印象的だった。やっぱりこの兄弟は根っからのサッカーバカだなぁ、と思ってなんだか嬉しくなってしまった。リョウは今日は学校代表で駅伝に出ているが、こいつもまたばりばりのサッカー小僧なのだ。リョウも左京地区の選抜メンバーに選ばれている。

 ダッチョの家に帰ると、リョウとおばちゃんが駅伝から帰ってきていた。その夜に大文字駅伝の様子がテレビ放送されるので、俺もダッチョ一家と夕食を共にして駅伝中継を見た。リョウは俺の母校でもある小学校の、第一走者だった。
 最初はリョウだけを見て応援していたのだが、リョウが第一区を走り終え、その後も続くレースをずっと見ていると、まだあどけない小学生たちが必死になってタスキをつないでいく姿にまた目頭が熱くなってしまってマイッタ。
 そうして疲れきったダッチョ一家はみんな眠ってしまい、俺だけ寝そびれて、ダッチョの部屋のオレンジのじゅうたんに寝そべって短編映画を見ながらこれを書いている。
 そういえば、ここのところしばらく自分の家で寝てないなぁ。

●神島選抜●
 椎名誠監督映画「うみ・そら・さんごのいいつたえ」がレンタルビデオ屋にあったので借りてきた。学校の図書館にある映画視聴ブースで何度も見たことがあるのだが、家でじっくり見るのはこれが初めてだ。
 しかしその前に「書く」時間である。実はまだ今もダッチョの部屋のオレンジのじゅうたんの上で寝転んでいるのだが、ダッチョはダッチョでタツの書いたサッカー日誌を読んで指摘点を書き込んでいる。そしてちゃぶ台をはさんだ反対側で俺はこれを書いている。映画を見る前に、まずそれぞれの小用を済ませよう、というわけだ。

 今日もダッチョの部屋で目覚めた。午前9時の起床であるが、俺たちにしては早いほうだ。ずっとダッチョと寝起きを共にしていて鬱陶しく思ったりしないのか?と思う人もいるだろうが、それが不思議とストレスをまったく感じないのだ。それぞれが思い思いのことを同じ空間でしていて、思い思いのことを喋ってはちゃんと聞いたり聞き流していたり、そのときの気分でその辺は適当にやりとりしている。これでいいのだ。ストレスを感じない友達というのはいいなぁ。
 まあこんなことを急に書き出したのも、春から小さな一軒家でも借りてルームシェアしようと話していたからだ。できれば3~4人で一軒借りたいのだが、ここまで気の合う奴はなかなかいないだろうなぁ、と人選に困っている。
 今度、三重県の神島にテント旅しようと思ってるのだが、もしかしたらこのテント旅に来るメンバーが有力候補になるかもしれない。やっぱり、一緒に数泊くらいテントで寝泊りできる奴なら気も合いそうだし。まあしかしこう書いていて、テント旅が人選の基準だなんて一体自分はどんな人間なんだろうな、とちょっと頭が痛くなる。

 さて、そろそろ映画上映の時間かな?と思ったのだが、ダッチョの携帯電話が鳴ってサッカー部時代の旧友と喋りはじめたので、俺は天井にへばりついている蜘蛛をボンヤリながめてみることにした。

●かめのかめしょう●
 小学生のときに国語の教科書で「随筆」というものの存在を知ってから、何度か随筆を書くことに挑戦したことがある。小学生のとき、俺はカメを飼っていたので、よくそのカメが随筆の題材になった。しかし今思い出してみると、それは随筆というよりは観察記録のようになってしまっていたな、と思う。しかしそうやってカメを観察していると、面白いことに気付いたりした。
 カメはあの甲羅を一生身にまとっていることで、カメ自身きっと不自由を感じているだろうな、と思ったのだ。

 例えば、岩と岩のほそいスキマに入ろうとして頑張っているのだが甲羅の肩がつっかえてしまってまったく入れず、しかたなく首だけぐいんと伸ばしてみてはグッタリしたりしていた。腹の下の小石に乗り上げてしまって手足が地面にとどかなくなってジタバタしては勢いあまってゴロンと転がってしまったり、そういうカメ的に困った状態におちいっては、はてしなくグッタリと落ちこんだ顔をするのだ。
 それを見ていた俺は「甲羅からカメの身が脱け出せたらコイツももっとハツラツとした顔になれるだろうなあ」と思いながら哀れみの視線を送っていた。いつかコイツの夢がかなえばいいのにな、カメにもそんな人生(亀生とでもいうのだろうか)があったら楽しいだろうになあ、と思っていた。

 もし現実にカメが甲羅から抜け出したらどんな感じだろうか。
 まずその姿はどうなのか。黒地に緑のマダラ模様は背にも腹にもまんべんなく入っているのだろうか。もしひっくり返ったら人間のようによっこいしょうと背中を起こすようになるのだろうか。メシは手で食うのだろうか。しゃくとり虫のようにひこひこ這ったりしないだろうか。寝るときは猫のようにまるまるのだろうか。
 いやー、カメってなんか恐いなあ。