ケンタの逃亡

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 柴犬ケンタが脱走した。夜はいつも家に入れていたのだが、妹が窓を全開にしたままで家に入れてしまったのだ。ケンタからすれば「おっ!開いてる☆」という感じでひょいっと出てみたのだろう。以前も同じようなことが1回あったのだが、そのときは1時間ぐらいすると水を飲みに帰ってきた。これには笑ってしまったが、今回は帰ってこなかった。
 ケンタが家の中にいない事にオカンがまず気付き、大きな声で「ケンタがおらへん!!」と叫んだ。皆それぞれの部屋から飛び出して玄関で靴を履き、パジャマ姿のまま自転車で散り散りに探しに出た。俺は携帯とケンタの好物のササミジャーキーを持って出た。夜の10時である。

 いつも歩くペースが遅いケンタはそう遠くには行っていないはずだった。だけどこの辺はど田舎で街灯などほとんど無く、黒すぎるほどの夜闇の中では褐色のケンタですら見つけることができない。絶望的な気分になりながらケンタの名前を呼びつつ自転車を走らせた。家族みんなもまだ近くを探しているようで、闇の向こうでケンタの名前を呼ぶ声が聞こえた。頭の中は嫌な想像でいっぱいになってた。車にひかれたらどうしようとか、足をすべらせて川に落ちてないだろうかとか、山のほうに入って野犬に襲われてないだろうかとか、この闇の暗さのせいか、どんどんマイナスのイメージばかりが膨らんだ。その中でも特に、車が猛スピードで走っていくのを見るのが恐かった。遠くのほうにも車のヘッドランプが猛スピードではしっているのが見えた。そんな車の先にケンタがいたら大変だ、とそのことばかりが気になってきて、少し離れたところにある大通りに自転車を走らせた。そこをケンタが横切ったら危ない・・・。

 大通りには街灯が点いていて明るかった。でもここも車が異常に早いスピードで走っていく。とにかくそこにケンタが飛び出さないように、ひたすらその大通りを往復した。ふと気付くと、俺の横を併走するパトカーがいた。「止まりなさい」と言われるまま止まると、職務質問された。こっちはヨレヨレのスウェット素材の半パンにタンクトップ姿だ。しかもポケットからササミジャーキーがとび出ている。そんな格好で夜中に大通りをケンタケンタと叫びながら自転車走らせていれば職務質問されたって当然だ。しかしこう焦っている状況でチンタラとマニュアル言葉を繰り返す警察官に腹が立ったが、ここで怒って声を荒立てると余計厄介になるので気持ちを抑えて答え続けていると、ふとポケットのササミジャーキーのことを聞かれた。そしてそこで今の状況を説明すると、「私たちも今パトロール中なので見つけ次第連絡します」と言ってくれたのだ。そこで携帯電話の番号を伝え、また自転車を走らせた。もう深夜の2時だ。

 そのうち疲れ果てて足が動かなくなってきた。そういえば何も飲んでないし、バイトが長びいたせいで晩飯もまだ食えてなかった。4時間走り回ったのに見つからないことに焦りながらも家に何か飲みに帰った。
 すでに親父と妹が帰ってきていた。もうすっかり諦めの表情でグッタリしている。俺は水を1リットルほどガブ飲みしてまた探しに出たが、空が明るくなってきた5時頃についに足が攣りはじめて、仕方なく家に戻った。戻る途中でオカンが必死に懐中電灯を振り回しながらケンタを探してるのが見えた。オカンに声をかけて一緒に家に戻り、家中の窓を開けてケンタを待った。連日のバイトのおかげでものすごい眠気が襲ってきたので、開いた窓辺で寝ることにした。

 携帯の着信音で目が覚めると、それはオカンからだった。電話を取るとオカンは「ケンタ捕まえたよ!!」と大きな声で言った。時計を見ると朝の8時だった。俺が寝てしまった後、オカンは仕事に出るまでの時間をケンタ探しのためにまた歩き回っていたのだという。それを聞いて急いで車で迎えに行くと、オカンの腕の中でケンタはきょとんとしていた。家から1kmほどしか離れていない細い路地だ。オカンとケンタを車に乗せて家に着くと、親父がそわそわして待ってた。しかしケンタは親父に目もくれずといった感じで真っ先にドッグフードに食らいつき、そして慌てるように水も飲み干した。そしてそのままそこで寝てしまった。甘ったれ犬ケンタは、オカンの執念で野良犬にならずに済んだのだ。親父はちょっと淋しそうな顔をした。
 寝る間もなくオカンはそのまま仕事に出ていった。その頃ようやく起きだしてきた妹は「あ、ケンタやん」と、あくびをしながら言った。