もうすぐですよ

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 学校の授業が早く終わったので、帰りに鞍馬寺に行った。学校からバイクで十数分も走るとすぐ着いてしまった。平日なので人は少なく、ゆっくり見てまわれそうな感じだった。鞍馬寺というのは、鞍馬山にへばりついたような寺で、山の中腹に本堂がある。そこからさらに険しい山道を登り、だいぶ登ったところで貴船の渓谷のほうに降りていくというのが参拝順路になっている。ここに来たのは幼稚園生の頃に親と一緒に来た以来だ。その時は参拝順路の山道がしんどくて泣いてしまった記憶がある。今回は約20年ぶりのリベンジというわけだ。

 眉をキリっと引き締めズカズカと登っていくといきなり、「ちょっと!」と呼び止められた。ん?と振り返ると、料金所を素通りしてしまってたみたいだ。すまんすまん、と思いつつ料金所のオバチャンに200円を払い、参拝順路の地図を受け取った。仕切り直しだ。よしっ!と心の中で気合いを入れ登っていくと数十メートルほどで「ケーブルカー乗り場」という看板が出ていた。なんでも、これに乗ると中腹の本堂付近までラクに行けてしまうそうだ。せっかく鞍馬寺に来たのにケーブルカーに乗る人おるんかいな・・・と思って見てると、若いカップルがいちゃいちゃと異常に密着しながら乗り込んでいくのが見えた。けっ!!
 ムッとしながらこっちは徒歩で登っていったが、山の緑が濃くて気持ちよく、ケーブルカーなんかじゃあこの空気は感じられんじゃろ~!やい!ってな気分になった。おめえらはケーブルカーの中じゅうピンク色の空気で満たしてやがれ!やいやい!・・・とか思ってばっかりいると鞍馬の尊天様に怒られそうなので、ベンチで一休みして気を落ち着かせることにした。歩くペースが速すぎたのか結構息切れしてるけど、空気が本当においしく、マイナスイオンがそこらじゅうからドバドバ出てるような感じだ。持参したペットボトルのお茶を飲み干し、出発。もうちょっとゆっくり歩くことにした。樹齢何百年もありそうな御神木をペタペタ触ったり、おみくじ売り場にいる巫女さんをジロジロ眺めたりしながらも着実に本堂に向かって登っていった。
 またベンチがあった。石でできた古いベンチで、その横のたて看板に「大正13年、貞明皇后さま鞍馬山行啓の際の御休息所」と書いてあった。この鞍馬寺は、門やらお堂やらベンチがある度にこのたて看板が立っていて、説明が書いてあるのが有り難い。何も知らないまま登ってても、へぇ~、と思わせられるし楽しい。看板は木でできてて、雰囲気を壊すことなく風景によく馴染んでる。その石のベンチには座らず興味津々でペタペタ触ってると、後続の観光客に笑われてしまった。しまった!それにしても後続の客にどんどん追い抜かれていく。まあ、石灯篭や木や小さな祠がある度にジロジロペタペタやってる俺がただ遅いだけなのかな。でもなんでそんなに急いで登るのかなあ。と思っていたが、その理由はすぐ後に分かる。
 風が幾分か強くなってきた。木々の隙間から見える景色にも、結構高い所まで登ってきたことがわかる。またしばらく登ると、ずっと登ってきた九十九折の山道の木々から空ががパッとひらけて、石段と、その向こうに大きな本堂が見えた。嬉しくなって早足に石段を駆け上がると、どん!と本堂が構えていた。ここからは京都の山々が大パノラマで見えた。快晴の蒼と山々の緑が美しい。本堂そっちのけでその景色に見とれてると、本堂のほうからゴォーンと低い金属音がして、ゴニョゴニョと唸り声のようなものが聞こえてきた。
 そのゴニョゴニョに誘われて本堂に入ってみると、キンキラな格好をしたお坊さんがお経をあげていた。急ぎ気味に登っていた観光客はこの本堂に集まっていた。密着カップルもすでに本堂にいた。本堂のキリッとした雰囲気の中では、二人の密着度は幾分かマシになってるようだ。よしよし。読経はたった今始まったばかりのようで、この観光客はこれが見たくて急いでいたのだろう。本堂の中でお札を買い、腰掛けて読経を聞いているとなんだか眠くなってしまったので、これはいかん、と思ってさらに先に進むことにした。

 ここから先は土むき出しの山道になる。勾配もさっきの九十九折より急でしんどい。早々にお茶を飲み干してしまったことを悔やんだ。大半の観光客はさっきの本堂の所で道を引き返したみたいだ。見渡す限り誰もいない。またさらにゆっくりと、たて看板を読んだり鐘楼で勝手に鐘を突いたり寄り道しながら進んでいった。「霊宝殿」という博物館があったが4時半で閉館らしく、すでに閉まっていた。気がつけば日がもうかなり傾いてきている。先を急ごう、と、武士のような顔になってさらに進んだ。
 だんだん道が険しくなってきた。幼稚園生の俺はきっとこの辺りで泣き出したに違いない。杉の根がマスクメロンの網目のように山肌を覆いつくしている。この一帯は岩盤が固いため、杉が地下に根を張れずに地表に浮き出ているのだそうだ。ここは「木の根道」と言われていて、義経が天狗に武術を教わった所として知られる。この網目状の木の根を一本下駄でぴょんぴょん跳んで足腰を鍛えたらしい。なんだか興奮して、誰もいないのをいいことに俺もぴょんぴょん跳んで遊んでみた。一本下駄ではなくスニーカーだが。なかなか楽しい。ハッハッと息を切らしながらぴょんぴょんしてると、背後に黒い影が!!と思ったら、観光客の外人さんが一人そこに立ってた。人がいたとは・・・。んん、恥ずかしい。赤面しながら逃げようとすると、大きな声で「すみません!」と言われた。全身黒い服を着た黒髪の若い女の子だ。
 そのまま話を聞いてみると、その子は道に迷っていたらしい。俺と同じように料金所でもらった参拝順路の地図をもっていたが、字が読めなくて現在地がさっぱりわからないようだ。現在地を教えたけどまだ不安なようなので、俺は「ついてきてください」と言った。字が読めないのに喋るのはやたら上手いなあと思って聞いてみたら、母親が日本人だから日本語は小さい頃から喋れたのだという。そして父親がバングラディッシュ人、国籍はカナダだそうだ。なんかすごいな。その先も木の根道が続いていてぴょんぴょんするには楽しそうだったが、女の子が見ているので恥ずかしくて跳べなかった。とはいえ、もうすでに見られてはいるが・・。
 木の根道が終わるとやっと下り勾配になった。義経堂や僧正ガ谷不動堂、奥の院魔王殿なんかがあったが、暗くなったら困るのでペースをあげて下っていくと、30代くらいの夫婦がふーふー言いながら休憩してた(ダジャレじゃないよ)。「結構キツいねぇ」と声をかけられたので「もうすぐですよ」と返事をした。一体何がもうすぐなんだ、ぜんぜん返事になってないな、と思いながら下っていくと急に一般道に出たので、まあ、もうすぐ一般道ですよって意味にはなったから良しと。
 その一般道を歩いて、叡山電鉄の貴船口という駅に向かうのだが、数分で着くと思ったので「もうすぐですよ」と女の子に言った。しかし駅までは30分くらいかかった。駅に着いたときに「遠かったですね」とつっこまれてしまった。もうだいぶ暗くなってた。長い道のりの間に仲良くなったので今度友達も連れて一緒に遊ぼうと約束し、連絡先を交換して別れた。

 俺はその駅から電車で鞍馬寺の入り口に戻って、そこからバイクで帰宅した。バイクで鞍馬山から離れていくと、まだ日が高いことに気付いた。さっきは山にいたから日が暮れるのが早かっただけか。ああ、もう夏がそこまで来てるんだなあと、妙に興奮しながら帰った。