家島オヤジの脅威

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 家島天神祭の幕開けだ。真浦港からほどない山べりにある区民会館の前に、家島の真浦地区の若者が集結した。威勢のいいかけ声とともに若者たちは手にした獅子の頭をふりかざして舞う。真昼のやかましかったセミの鳴き声をかき消すほどのかけ声があがり、極彩色の獅子がブンブンカチャリカチャリと一定の規則性をもって舞いはじめる。家島の夏祭りは獅子舞の祭りなのである。
 そんなカラフルな獅子の舞いを見ながら缶ビールをあおり、それいけ!おりゃいけ!などと頭のなかで気持ちを躍らせつつ見物していたのだが、そうだそうだ、見ているだけではダメなのだ、写真を撮るシゴトがあったのだ、と突如おもいだし、望遠ズームレンズをカメラにぶち込み撮影開始。白装束に身をつつんだ若者たちが一心不乱に獅子を舞わせる表情がなんともたくましい。真浦の町並みを夏のしめった風がふきぬけ、ビールの酔いが心底ここちよい。子供たちは獅子を見るでもなくあたりを走りまわり、大人たちは酒をのみつつ歓談し、毎年恒例のこの祭りの空気にゆったりと身をゆだねている。以前訪れた5月の家島のがらんとした雰囲気とは違い、島全体の空気が躍っているように感じられる。みんなこの祭りを心待ちにしていたのだ。

 いよいよ獅子舞の隊列が動きだした。「練り歩く」というのはこの事なのだろうな、と思えるような足どりで、50メートルほどの距離にある真浦神社まで時間をかけジリジリと近づいてゆく。俺もそろそろと重い腰をあげ、隊列の先頭からその隊列を撮りつづける。祭り屋台のたち並ぶ細道を隊列はジリジリ進み、わずかな距離を20分ちかくかけて真浦神社に到着した。そのまま境内へ入り、ここで家島天神祭の幕開けの儀式が行われた。稚児がふわっふわっと舞いながら、ひざまづいた獅子に玉串を渡す。この瞬間が民俗学的にとても重要な意味をもつらしく、祭りが始まる前からしつこいくらいに写真への要望をあびせられていた。構図はココからココまでで、見やすく明るく、コマ送りのように動きをとらえ5枚以上、姫路市の役場に提出するからミスは許されないよ!…などなどと緊張の瞬間であった。なんとか要望にかなった写真を無事に撮り、ほっとする間もなく獅子の隊列は動き出す。稚児から玉串を得てさらに気勢の上がった獅子は跳ねるように舞いながら今度は真浦港をめざす。100メートルほどの距離を、数十分かけてジリジリと練り歩き、港に停泊している壇尻船にぞろぞろと乗りこんでいった。壇尻船というのは巨大な双胴船のうえに能の舞台のようなものがしつらえてあり、そこで獅子と稚児たちが舞う演目が繰り広げられるのだ。どこに陣取ろうかなーと港の岸壁を見渡していると、祭りの役員たちが俺の背中をおして「オマエも早く乗れ!」と言う。港の岸壁には大勢の見物客がおり、あからさまに祭りの衣装でないおれがこの船に乗るのは何だかとっても邪魔者のようで申し訳ないのだが、乗れと言われたからには乗るしかない。それに祭りの前にしていたよもやま話では、「どんな雑誌のカメラもこの神聖な壇尻船には乗せたことがない」やら「NHKのテレビ取材でも同船させなかった」などと聞かされていたので、いざ乗れといわれると少々ヒルむ。「乗れ!」というのは「乗ってしっかり撮れ!」という意味なのだろう。しばらく考えた後、意を決して、船にかけられている細い板をわたり、壇尻船に乗りこんだ。

 そもそもこの家島への旅は、ただ旅行のつもりだった。しかし渡島前日に「旅館はりま」のおっちゃんから電話が入り、「祭りの写真を撮る人がいないから写真を撮ってくれ」と言われたのだ。それを聞くまでは、ビールと魚貝類におぼれる旅だ!と思っていたので急にそんなこと言われても準備もろくにできず、下調べも全くできず、カメラの電池残量すらままならない状態で、さらに充電器も忘れてしまい、三脚も大型フラッシュもなく、しまいには今のおれは半分酔っぱらっている。そんな状態を隠すべく、壇尻船のうえでその後、舞う獅子にケトばされ稚児にひっかかれながら写真を撮りつづけた。暗いなかレンズを覗きつづけるのは目が大変疲れるのだが、演目は22時を過ぎるまで延々とつづき、ヘトヘトで船をおりた後さらに初日打ち上げの酒宴があるから来い、と言う。俺は「わかりましたぁ~あ」と適当に返事をし、夜の祭りの風景を撮りにいくフリをしてすばやく旅館のフトンのなかに身をかくした。翌日も朝5時に起きて一日中撮影をしなければならないのだ。コーフンした若者たちが奇声をあげている港のすぐとなりの旅館の中で、おれはひっそりと息をひきとった。(ちーん)

 翌朝まだ薄暗いそらに祭囃子が響きはじめる。それを合図におれも息をふきかえし、カメラの電池残量を気にしながら支度をする。昨日だけで撮影400枚にのぼり、今日はさらに多くシャッターを切ることになるだろうが、もう電池の残りはわずかなのである。俺よりもはやく起きて朝飯の準備をしてくれていた旅館のおばちゃんが「はやく食え!」と部屋まで呼びにきた。菜っ葉のおひたしと潮汁とご飯だけの簡単な朝食をすませ、不安をよそに祭り二日目がスタートした。

 昨日とおなじ行程をへてシシマイ軍団は壇尻船にのりこんでいく。早朝にもかかわらず大勢の見物客がいることに驚いた。俺も昨日と同じように壇尻船に乗り込もうとすると、祭り役員がおれの行く手をはばみ「オマエの乗る船はあっちだ!」と言う。指さされた先を見ると、なんとも貧相なボロ小船であった。ボロ小船を操縦するべく先にのりこんでいた二人のアンチャンも「おめえ早く乗らんかいな!」と鋭い目線をくれている。俺もごめんなさいごめんなさいと言わんばかりに背中を丸めながら訳もわからず小船に乗りこみ、とりあえずカメラを構えてみた。しばらくすると別の数艘の小船がうおんうおんとエンジン音をひびかせ動きだした。どうやら壇尻船は動力をもっておらず、この小船たちに引っぱらせないと進めないようなのだ。ん?進む?いったいどこへ進むんだ!?なにも聞かされていない俺は小船の上でおびえてプルプルしつつ、このままこの小船がマグロ漁とかに出たりしないよう祈りつつ(それはそれで良いが)、まあとにかく小船の上からひたすら巨大な壇尻船を撮りつづけた。壇尻船の上では獅子舞がずっとカラフルに舞っている。
 壇尻船はそうとう重いのか、2艘の小船で引いてもさほどスピードも出ず、のったりと海に出ていった。ワケもわからず俺が乗りこんだこの小船は壇尻船を引くでもなく、ハグレてどっか行くでもなく、ただ壇尻船の周囲を付かず離れずの位置を保って併走している。しばらくしてワケがわかったのだが、この船はわざわざ俺の写真のために用意された撮影船で、俺が「もっと右!」といえば右へ行くし、「ちょっと左ナナメ前をながしてみて」といえば左ナナメ前をながしてくれるし、「じゃあここらで昼メシ休憩!」といえばきっと即座に昼メシとなりそうな気配であった。あとで分かったのだが、旅館はりまの亭主はこの祭りのよっぽどの権限をもっているらしく、わざわざ壇尻船に乗せてくれたり小船を手配してくれたりと撮影に事欠かないよう配慮してくれていたのだ。なるほど宿泊費も食費もタダなのもうなずける。そのことをジワジワと理解してきた俺は、半分旅行気分の己の撮影機材をながめ、ワキのあたりに不快な汗をかきつつ、しかし周囲を海に囲まれた現状からはもう逃げられないことを覚悟し、撮るしかないのであった。幸いまだ朝早くてアルコールの入っていないわが身にムチを打ち、でぇりゃあぁぁぁぁあああ!!と巨大カメラと超長レンズをふりまわし、ついでに尻のぜい肉と魚を食えなかった無念および操縦している若者の明るい家族計画あたりまでふりまわし、海風にたなびくザンバラ寝ぐせアタマのフォトグラファーへと変貌をとげるのであった。