家島天神祭に乗り込むヨッパライ絵図

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 さて、答志島の旅が終わったら、ちょっとは遠くの離島に行くのかと思ったら、やはり次も家島だった。
 家島というのは兵庫県の姫路市沖に浮かぶ瀬戸内海の、5000人くらいの人口がある立派な島なのである。春先の滞在で、しっかりと魅了されつくして帰ってきたのだ。

 まずこの島の魚貝はほんとにウマイ。これは珍しい巨大魚が獲れる!とか、ここにしかいない貝がある!という訳ではなく、ただスーパーにもよく並んでいるようなアジやサバやイカ、エビや貝の類がまったくもって別の食材だと感じてしまうまでにウマイのだ。
 秘密は鮮度だ。これしかない。そしてうまい具合に潮の流れもいい格好の漁場の真ん中に突き出たような島なのだという。秘密は鮮度だ、というのも、この島の漁は、獲ったあとの魚を活きたまま漁港に持ち帰る。そして活きたまま鮮魚店に運び、鮮魚店でも水槽に泳がせたまま売るのだ。ウマくないわけがない。そしてそんな鮮度がこの島では当たり前で、死んだ魚など誰も食べない。恐るべき徹底具合なのだ。

 そんな家島で島最大の祭りが7月にあるのだという。そりゃあウロコ舞い散る盛大な魚貝イベントなのだろうと勘違いした俺は、さっそく仕事の都合をつけヨダレ垂らしながら家島に向かったのだ。きっと青空たかく魚が舞い踊っているに違いない。貝たちはパクパクと俺を呼んでいて、まだ神経の切れきっていないような刺身状の魚たちが打ちふるえながら待っているに違いないのだ。ワナワナと震える心をおさえ静かな顔をしながら、しかし鼻息荒く家島に乗り込んだ。

 島はいつにも増して活気があった。この島にはこんなに人がいたのか!?と目を疑う賑わいっぷりなのだ。細い路地には祭屋台が並び、子供たちがはしゃいでいる。島のおばちゃんたちはあちこちでお喋りをしていて、男衆はいそがしく祭の準備に追われていた。
 いつもお世話になっている「旅館はりま」のおっちゃんに挨拶し、今晩宿泊する部屋に案内してもらうと、賑わう路地が一望できる窓の大きな部屋に通された。さっそく部屋で缶ビールをプシッと開け、ぐびりとやりながら路地を眺める。しばらくすると、祭囃子の笛と太鼓の音と、貫禄のあるおじいさんのものらしき歌声がひくくひくく聞こえてきた。いよいよ夕暮れも近づき、これからの祭のために島人も徐々に徐々にテンションを高めてきているようだ。
 ちょっと外を缶ビール片手にふらついてみたが、予想していた魚貝の姿がない。青空たかく魚が舞い踊っているどころかウロコのひとつも見当たらない。ここは島のはずなのに、おかしいぞ?と思い、島人にワケを聞いてみると「祭の日にはだれも漁に出ないから、魚なんて死んでるのしかないよ、そんなの食えたもんじゃないよ」というのだ。島の祭だからこそ魚貝類もいつもの3倍ほどビチビチと跳ね回っております、もう魚が食ってくれ食ってくれと飛び跳ねて大変です!もうどれでもなんでも持ってけ持ってけ食ってけ食ってけおらおらおらぁ!!という想像は完全に俺が勝手にウカレてしまっていただけなのであった。しばし頭の中が真っ白になったが、まあそれもそうだ。みんな漁に出てないから、島にこんなに人があふれているのだ。

 おとなしく旅館はりまに戻り、18時から始まる祭に合わせて早めの晩飯となった。向かいの席には日本民俗学会の会員さんだというご年配のおじさんが座っており、一緒にメシを食った。この方も今日この祭を見るために遠方から来られたそうだ。忘れてしまったが、三重だったか愛知だったか。ぼそぼそとお互いの旅の話などをしつつ一緒に魚貝類のとぼしい晩飯を食った。
 なんだかやっぱり魚貝をしっかり食べなきゃテンションの向けどころが酒にばっかり向いてしまって困る。部屋にもどると立て続けに3缶のビールを空け、たちまちヨッパライになってしまった。しかし今回の家島ではただ魚貝を食い祭を見るためだけに来たのではなく、この祭の来年の告知用のポスター写真を撮るよう頼まれて来たのだ。心地よくヨッパラウのもいいが、ほどほどにしておかなくてはならないのである。
 機材の準備をぼちぼちと終え、窓から路地を見渡すと、先ほどよりもさらに人の姿が濃くなっていた。久しぶりの再会を喜ぶ声があちこちから聞こえてくるところを見ると、どうやら島の外に出て暮らしている人たちがこの祭に合わせて帰省してきているようだ。祭囃子の音もすでにかなり威勢のいいものになっており、いよいよ始まるぞ、という様相を呈してきた。俺も「さあ来い、いつでも来い、どっからでも来い!」と眉つりあげカメラひっさげ、しかし片手にはしっかり新しい缶ビールをにぎっていた。