癒やしを求めて家族旅行へ。
とある日本海の小さな小さな漁村に、のんびり家族旅行してきた。
ここは夏にも一度来たことがあり、景色のよさと水のキレイさ、昭和感ただよう小さな村の雰囲気とほっこりする人の優しさに、すっかり魅了されていたのだ。
そして僕ぼっくりの営むうどん屋が5周年をむかえ、店休日だけど営業するつもりにしてたところ、テナントビルの電気工事日に当たってしまって全館停電するとのことで、それなら仕方ないと一泊旅行に出たのだった。
暴風ふきあれる初日。
はるかとおい太平洋側を通過した台風のあおりを受け、ずいぶん離れたここ日本海も大荒れで。
堤防では、さすがに暴風で困ったようすの釣り人がちらほら見られ、我が家も持ってきた釣り道具は今日はおあずけだねーという話しをする。
そんな白波立つ海岸にはあまり近寄れなかったので、ノスタルジーあふれる村内を散策したり、周辺をドライブしたり。
夏に来たときは、この村で企画されていたウォークラリーでもらったザラ半紙の地図を片手に、
「あっ!鯉のいる水瓶あった!」「昔の漁師さんの気圧計あった!」と
書かれたチェックポイントをさがして、この小さな村の雰囲気を存分にたのしませてもらったのだ。
いい企画だったなぁ。
そんな村にまた訪れることができ、懐かしさも感じながらまた村内を歩く。
子供たちはチェックポイントを思い出しながら、二度目のウォークラリーを楽しんでいるように見えた。
ポイントのほとんどを覚えていられるくらいのこの小さな村は、人口にしておよそ100人もいないだろうか。
ひっそりとした漁村だが、夏は海水浴のために数組の家族が旅行にきているのが見られ、また冬はカニ料理を食べに旅行客がくるのだという。
とはいえ、やはりがらんとした雰囲気とノスタルジックな漁村の風景には、いつも潮風だけが転がっていた。
春にきたわれわれ一家はカニにもフグにも季節があたらず、この村の一番ひっそりした姿を見られているようだ。
我が家はこういうのんびりとした雰囲気が好きで、これは当たりの季節だなぁーと喜んでいた。
素晴らしきかなの日々。
この5年間のカラダのほとんどをうどん屋に捧げてきたが、そろそろペースというものを考えないといけない頃かもしれない。
人生100年時代というが、とても100歳まで生きられる気がしないのだ。
でもせっかく人生100年時代に生きてるんだから、せっかくだから100歳まで生きてみたい。
ならばある程度のセーブはしていかないと、とても生きられない。
うちの店は完全ワンオペ営業だが、それも良し悪しである。
人を雇わないので心労はない分、体は毎日クタクタ。
いままで長くスポーツをやってきたおかげで体の疲労には慣れているが、どうやらそういった類いの疲労ではないようなのだ。
動き疲れと立ち疲れ、おなじ姿勢での作業、そして営業中の緊張。
いまだに開店直前はピリピリして胃が痛む。
始まったら始まったでバッタバタと動きまわり、営業を終えると1時間は立ち上がれない。
そんなことを5年続けてきたが、もうすこし調整が必要であろうと思う。
村の散策で冷えたカラダを、民宿のおおきな風呂でしっかり温めた。
ムスコたち2人は大はしゃぎだ。
「オトーサン、このお風呂っておうちのお風呂より大きいよね?」
「そやなぁ、おうちのお風呂5個分くらいあるんじゃないか?」
「やんねぇ!泳いだりできるもん!」
そうして蹴伸びをやってのけるジナンと、あたまにタオルをのっけて目をつむりオッサンっぽい愉しみ方をしているチョーナン。
風呂からあがると、なんだろう、5年分の疲れがどっと押し寄せてきた。
風呂でまだ湯気のたつ息子たちのお肌の保湿をし、自分の保湿をしたら、僕はふとんに転がった。
カラダが重い、動けない…。
そのまま夕食の時間になったが、心配そうにしながらオクサマとムスコたちだけ食堂に向かっていった。
ふとんに顔をうずめ、鉛のように重いカラダの疲労をじんじんと感じながら、そろそろ長いこの先の生き方を考えていかないとな…と実感していた。
ただずっとふとんに埋まっていても腹はへるので、30分くらいしてのそのそと重いカラダをおこし、僕も食堂に向かう。
食卓には豪華な海の幸がふんだんに広がっていて、目をキラキラさせながらわしわしと食いすすんでいる家族たち。
よしよし、いい光景だぞ。
そして、こうしてうまいメシを食えているのもやっぱり今うどん屋をやれているおかげだ、ペースを考えつつもまだまだ頑張るぞと気力のふつふつと湧いてくるのを感じていた。
やっぱり、うまいメシは力なのである。
自分もそういうものを作れる立場にいること、ひとに力をあたえられる食の職だということに、誇りを感じたのであった。
早朝は至福である。
泥のようにふとんに染みこんで寝た翌朝、時間は4時でまだ窓の外はまっ暗だ。
僕はいつも4時に起きる。
毎朝4時におきてコーヒーをのみ、こうしてブログを書く習慣があるのだ。
ただ今日はせっかく旅行先なので、いつも持ってくるパソコンは起動しないことにした。
窓をそっと開けてみると、もう風はほぼおさまっていた。
すぐ目の前の漁港には、すでに釣り人の明かりがポツポツとある。
そうだ、釣りに出よう!
水筒に熱いコーヒーを仕込み、いつもの簡素な釣りセットをもって漁港に出た。
見たところここにいる釣り師のほとんどは春イカを狙っているようだ。
シュッシュッと竿をあおる音が闇夜に響き、エギという和製ルアーで春のおおきなアオリイカを狙っているのがわかる。
僕もイカ釣りは大好きで、ちゃんとエギは道具箱にしのばせてある。
ただ春イカは難しく、いままで和歌山県の有名スポットで1日ねばって釣った1度の経験しかない。
ただ春イカは本当にデカく、1杯釣れば腹いっぱいに食える。
それをその時は4杯釣って、同行のサラリーマン時代の同僚と海風にふかれながらイカ刺しをたらふく食ったのを思い出した。
それから10年…いやもう自信ないわ。笑
難しかったもんなぁ、春イカ。
そうとはいえ、雰囲気にのまれて僕もエギを用意する。
投げる、沈める、シャクる。
シャッシャッ!という竿が空を切る音が気持ちいい。
ただやはり反応などはなく、時間は過ぎていった。
あたりが白んできて、でっかい海の景色がどんどん広がっていく。
深い山並みには山桜が彩りをあたえ、海は明るさとともにどんどん碧くなっていく。
この自然に身をおいている実感、これが釣りの醍醐味じゃなかろうか。
釣れないイカを狙うのをあきらめ、堤防のあしもとの根魚を釣ることにした。
エビを餌につけ、カンタンな胴突き仕掛けをおろす。
すぐさまコツコツとアタリがあり、クッと竿先が吸いこまれた。
竿を立てるとプルプルと生命反応があり、ぐっと興奮が増す。
あがってきたのは小さなカサゴで、よしよしと愛でたらすぐに海に帰してやった。
そうしていくつも魚信をたのしんで、そろそろ6時である。
オクサマを電話で起こす。
「きっと子供たち楽しめるから連れておいでよ、朝食までちょっと遊ぼう。」
10分ほどするとオクサマとチョーナン・ジナンが寝起きの腫れぼったい目でやってきて、一緒にちょい釣りを楽しんだ。
小カサゴ、小グレ、スズメダイ、クサフグ、ベラ…外道ばかりで全てリリースだったけど、家族でキャッキャと写真をとりながら朝食までのひとときを楽しめたのであった。
海は心のリセットスイッチだ。
またまた海の幸にあふれた朝食を用意してもらい、腹パンパンで部屋にころがる。
昨日とは打って変わっての晴天で風もなく、春の陽気とドデカい海が窓のそとに広がっていた。
ふと思い立って決めた旅行だったので特にプランもなく、このあとも自由である。
荷物をまとめて、民宿のおっちゃんおばちゃんと話をたくさんした。
「また来てくれてありがとうね。」
「もちろんまた来ますよ!」
とお別れをし、荷物を車に積みこんだ。
すぐに村を離れるのはまだ名残惜しいので、ちょっと浜にでて水遊びをしつつ、海風をたっぷりカラダに溜め込んでおいた。
我が家はなかなか海とは遠いところに住んでるけど、こうしてたまに海までくると、たっぷり力をもらえるのだ。
そして暮らしのなかで日々すこしづつ積み上げられていく複雑さを、海にすとんと置いていくことができる。
海が洗い流してくれる、リセットしてくれるのだ。
だからまたこうして家族で海に来られることを楽しみに、日々をがんばっていこう。
帰りの車のなかでスヤスヤと眠る家族たちの姿をバックミラーに見ながら、シンプルで軽くなったココロで日常に戻っていくのであった。