なぐさめの甘辛煮

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 漁船のひくくひくく鳴るドロロロロロという心地よいエンジン音で目がさめた。島にきて、朝に漁船のエンジン音のひびくなかで布団にくるまってまどろんでいるこの時間がとても好きだ。もうすこしこのままここでぬくぬくしていたい、といつも思うのだが、それも勿体ない。なにせ窓のそとには自分の好きな島の風景がひろがっていて、はやく布団から出てこいよ、とニカニカ笑っているのだ。寝ても覚めても、どちらにしても幸せなのである。

 となりのKを起こし、昨晩のうちに用意していた釣り道具をもって、まだ瞼の重いまま外に出る。10月の家島の朝は、湿気をたっぷり含んだつめたい空気につつまれていた。自転車にまたがり、今日の釣り場とねらいさだめた清水ノ浜にむけ出発すると、顔にあたる風がいっそう冷たく感じられる。おかげで頭がシャッキリ覚めてきた。うしろをまだ寝ぼけまなこのKがついてくる。海沿いを走っていると、これから漁にでる船、夜の漁から帰ってきた船が海上を往来していて活気があり、それを眺めながら走っているとワクワクしてついつい自転車のペースも上がってしまう。目的地の清水ノ浜につく頃には、気がつけばKはずいぶん後ろで遠く小さくなっていた。すまんすまん。

 さて、ここまでけっこうな期待をたずさえ、いざ釣り開始!となったのだが、昨日と同じくさっぱり何の反応もない。たまに藻がからまった重みをイカがかかったものと勘違いしてしまいコーフンさせられるものの、糸を巻き上げていくにつれイカ独特のグッグッという引きがないことに気付き、しょんぼりしながら絡まった藻を回収する…という繰り返しだった。そうして期待もいつしか眠気と寒さに負けてしまい、ぼんやりと天を仰ぐと曇り空だった。この瞬間まで気がつかなかったのだが、今日は曇り空だったのだ。胸躍らせていたせいで天気もよいものと思い込んでしまっていた。いつも空をゆっくり見上げるくらいの心の余裕をもたないとなぁ、と、さきほどまでの己のウカレっぷりを少し恥じる。
 Kはというと、とっくに竿は放っぽり投げ、あたりの風景をデジカメで撮ったりしていた。さすがだなぁと思うのだ。これが、バックパックにテントと寝袋をつめこんで日本全国津々浦々と旅してきた人の余裕である。魚魚肴さかな酒酒サケ!!とわめきながら海べりを這い回っているだけの俺とはやはり違う。ぐぬぬ…とその余裕にひるんでいると、「せっかくだから水中写真撮ろう」とKは突如として言った。そうだった、Kが最近新調したそのカメラはペンタックス製の防水カメラなのである。しかしさすがに10月下旬の海に飛び込むのはイヤなので、釣り竿の糸から仕掛けをはずし、そこにその水中カメラをぶら下げ、それをするすると水中に落としこんでいく作戦をとった。

 海中のカメラにしばし自動撮影をがんばってもらい、またするすると海上に引きあげて、写った写真たちを確認。そして眼を見張ってしまった。いるじゃないか!お魚さんたちはそこかしこにウジャウジャと写っているじゃんか!!そこには、すまし顔のお魚さんの群れが回遊しているサマがたっぷりと写しこまれていたのだ。しかし幸いにもそこにイカは写っていなかった。もしそこにアオリイカが「ん?撮ってんの?」みたいな顔で写ってたりなんかしたら、ただじゃおかないところだった。すかさずパンツ一丁になり海に飛び込み、アオリイカに対しプライドをかけた戦いを挑まなければならない状況はなんとか回避されたのだ。そして今、水中カメラは俺にとって大変危険なシロモノであるということがはっきりした。
 Kはその魚たちのたくさん写った写真を見て「うわーキレー!」と興奮している。きっとKの反応のほうが一般的にみて正しいであろう。

 すっかり戦意をなくし空腹の虫がわめきはじめたところで、やま一荘に帰って朝食をとることにした。暖かい食堂には自家製のアジの一夜干しや新鮮わかめの味噌汁などが並び、そして傍らにはイカ釣りにあぶれた俺たちをなぐさめるかのように、小鉢にハリイカの甘辛煮があった。ありがとう女将さん。