蟲のお知らせ

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 毎週火曜日は3限目に授業がないので、2限が終わるとすぐ図書館に行って、昼メシも抜きでなにか映画を見ることが多い。通っている大学の図書館には映画の個人視聴ブース席があって、LDやDVD、VHSなどで新旧さまざまな映画を無料で見ることができるのだ。ここ最近見た映画で面白かったのは、ジョン・アミエル監督の「知らなすぎた男」。1997年のアメリカンコメディーで、おかしくておかしくて一人で下を向いてぐふぐふ笑ってしまった。視聴ブースには他にも数人いたので、もしやぐふぐふ笑いを聞かれてしまったんじゃないかと心配してキョロキョロ辺りを見回したが、皆それぞれ自分のブースの画面に食い入って映画を見ており、耳にはヘッドホンをつけているので、ホッと安心してまた俺も映画の世界に戻っていった。
 他には、椎名誠監督の「ガクの冒険」「うみ・そら・さんごのいいつたえ」「あひるのうたがきこえてくるよ。」など、この図書館で見ることのできるシーナマコト作品は全て見たし、北野武監督作品もいろいろ見た。椎名作品では「うみ・そら・・・」が一番のお気に入りで、もしDVDなど発売しているようなら買おうと思っている。北野作品では「この夏いちばん静かな海」が良かった。
 今日見たのは、倉本聰監督の監督デビュー作「時計」。人間の臭さがにじみ出てる素晴らしい映画だった。一昔前というと聞こえは悪いかもしれないが、いしだあゆみ・永島敏行といったこの時代の映画女優・俳優には、最近のチャラチャラアイドル的役者などにはない重みがあって良い。永瀬正敏がなんだ、深津絵里がどうした、と思ってしまう。とまあ、こんなことを書けばそのテのファンに背後からサクッと刺されたりしそうだが俺は有名人じゃないんだから好き勝手書くのだ、いいのだ。とここで反感を買った後に弁明するようで居心地が悪いが一応、永瀬正敏も深津絵里も最近の日本映画もそれはそれで好きなのであります。つまりは、比べた俺がいけなかったって事だわな。
 話がそれはじめたので「時計」の話に戻そうかと思ったが、内容については多くは書きたくないので終わりにしよう。気になった人はぜひ見てほしいなと。

 さて、そんな魅惑の3限目をすぎて4限目に出席。てんで面白くないので読書タイムに突入しようとしたが、昼メシを抜いた己の空腹に気付き、おやつ用に持ってきた一口ドーナッツを食った。ハラが減っては戦も読書もウンコもできぬ、というやつだ。しかしいくら面白くないとはいえ授業中なので、うつむき気味にモゴモゴとドーナッツを食い、そしてひっそりと読書に浸っていった。
 完全に活字の世界に入りこんでいたのだが、どうも活字の具合がおかしい。そう思っているうちに、本のなかの活字が突然カタカタと震えだし、さらにうねうねと動きはじめた。そして活字は一本の列をなして文庫本から逃げ出し、アリの行列のように白い机の上をねり歩き始めたではないか。俺は混乱したままそれを眺めていると、行列は突然ビタッと立ち止まり、活字の大軍を代表するように二つの文字が俺に近づいてきた。「ば」「か」。
 さて、話がどこか宇宙の方向にむかっていきそうだったので本当のことを書くと、読んでいた文庫本の上を一匹の羽根アリが横切っていったのだ。急いでいるような足どりで文庫本の上を通過し、白い机の上をせっせと端まで歩き、机の角っこから音もなく飛び立っていった。
 それを気にも留めずまた活字目になってしばらく本を読んでいると妙に手がくすぐったいことに気付き、目をやると小さな虫が俺の手の甲を歩いていた。3ミリくらいの、白地にラクダ色のまだら模様の羽根のある虫だ。即座に「ラクダノマダラ」と名づけた。見たまんまである。小さくて可愛いのでしばらくその行動を見ていた。ラクダノマダラはテテテテテッと俺のノートの上を歩き、筆箱にぶつかって左右どっちに行くか迷い、手帳の上によじ登ったりしていた。一向に飛ぼうとしないのでよく見ると、右側の羽根がそっくりとれていて飛べないようだ。かわいそうになぁと思いながらも、手元をうろちょろするそいつがだんだん鬱陶しくなり、フッ!と息を吹きかけてふっ飛ばしてやった。飛ばされたラクダノマダラは、前の席で机につっ伏して居眠りしている男の背中にとまった。しばらく男の背中をちょろちょろし、その辺りの服のシワに身を潜めることに決めたようで、やっとおとなしくなった。
 そして俺はまたカツジ目に戻ろうか、と思ったそのとき、男が居眠りから目を覚まし、体を起こそうとしている。危機を感じたラクダノマダラは全速力で逃げようとしていたが体の小ささゆえ走りは遅く、俺は「あぶないっ!!」と思って男の背中にまたフッ!と息を吹きかけたのだが時すでに遅し、ラクダノマダラは椅子の背もたれに挟まれてペッタンコの刑になった。男は、いきなり背中に息を吹きかけられたことに不快な顔をしていたが、まあ許してくれ。
 ラクダノマダラよ、次はもうちょっと大きな体に生まれてこいよ。

 そんな4限目も終わり、5限目になった。すっかり活字目になってしまっているので、また授業ほったらかしで読書に没頭していくと、その本ももう残りページがわずかになり、ついに「あとがき」まできた。俺はこの「あとがき」を読むのが好きだ。本編では濃いことを書いてあっても、あとがきまで来ると著者も、フゥ、と肩の力をぬいて書いていることが多いようで、その著者の素顔のひとときに触れられる気がするのだ。あとがきのシメに「○○年○月吉日、自宅のベランダで緑茶をすすりながら・・・」なんて書いてあるともうタマラナイ。さて、お楽しみの「あとがき」に突入するか、ヨシ!と思ったその時・・・自分の右腕のあたりから殺気を感じた。
 カメムシだった。ウンコ色の巨大なカメムシがのそのそと俺の右ヒジあたりを歩いていたのだ。さきほどのラクダノマダラと比べると、いかにも邪悪な風貌のそいつは可愛らしさのカケラもない。すぐさま吹き飛ばしてやろうと、フッ!!と息を吹いたのだが、ガンコに服に食らいついて離れない。何度もフッ!フッ!とくり返し、やっとポロンと転がって落ちた。今日はなぜか虫の類に好かれてしまうようだ。
 さーて、あとがき!と思ったら今度は突然教室の明かりがすべて消え、講師がスクリーンに自作のスライドを映しながら授業をすすめはじめた。せっかくの甘美の「あとがき」が真っ暗じゃあ読めない。あああ・・・アトガキ・・・とうなだれて窓の外を見た。するとそこには、もみじの木がタダゴトではない美しさを放っていた。真っ赤なもみじの木だった。これは授業どころではないな、と、ろくに授業も受けていないくせにそう思い、荷物をまとめてすぐ教室をぬけだした。

 授業をぬけて正解だった。ちょうど太陽が沈んで橙色と紺色のグラデーションになった空にわずかに残る明るさの中で、もみじは昼間よりひときわ赤みを増して見えた。辺りが暗くなっていくにつれ、もみじは暗い赤になっていくのではなく、どんどん濃い赤になっていくようだ。暗くなっていく空気の中にボーっと浮かぶもみじの赤は、ふと目にした日本人形のように、美しいけどどこか怖いような、エキゾチックな魅力があった。