ビックリマンチョコとモヤシとアタシ

当サイトでは、著者ぼっくりが実際に買ってよかったモノや気になるモノなどの紹介に、一部広告リンクを使用しています。

 俺の部屋では最近ずっとテレビがついているのだが、音量を最小にしているので、話の内容や流れがよく分からない。今日は日曜日で友達の仕事が休みだったので、昼から友達と公園でサッカーをしようと約束していたのだが雨が降ったので中止になった。だから仕方なく、音のないテレビ画面をボーっと見ているのだ。

 夕方の六時をまわると、アニメ「ちびまる子ちゃん」が始まった。ボーっと見ているので話の内容はよくわからない。まるちゃんがカラフルな紙風船を頭にかぶっているが、なぜ紙風船をかぶっているのかはわからない。それにしても紙風船って懐かしいなぁ。小さい頃は地蔵盆なんかで紙風船をもらうと嬉しくて、破れるまでそれで遊んだな。しぼんでは息を吹き込んで膨らますうちにだんだん銀色の吹き込み口のところがツバでヨレヨレになってきて、ついにそこからビリッと破れてしまう。でも破れる頃にはもう紙風船には飽きていて、家に帰って修理して今度また遊ぼう、と思ってズボンのポケットにくしゃっと入れたまま忘れてしまってズボンを洗濯してしまう、ということが何度かあった。
 同じような失敗は今もよくする。18歳くらいの時から俺は財布をポケットに入れておくことが急に嫌いになり、いつも千円札や小銭を直にポケットに入れていた。全自動の洗濯機のスイッチをポンと押してしばらくすると、洗濯機の中からカツンカツンガガガガっと派手な音がして、「ん?」と思ってフタを開けてみると小銭が洗濯槽に散らばっていて、「うっ・・・」と思いながら恐る恐るズボンのポケットを探ると、しなっとした数枚の千円札が互いに身をぴったりとくっつけてボロン、と出てくるのだった。
 「あぁぁ・・・」と声なく落胆し、ゆっくりと一枚一枚をはがし取り、その頃大嫌いだったスペイン語の辞書にその濡れた千円札をはさみ、しばしその上に座ってケツ圧によって綺麗に伸ばす。そうしてその間、ケツの下の千円札のことを気にしながら音のないテレビ画面をボーっと眺めていたりした。

 その頃はいつもボーっとしていた。18歳から「小川ハイツ」というぼろアパートで一人暮らしを始めたが、一階の部屋だったので窓を開けるとそこには庭があって、窓際に座ってはただボーっと、庭の草の上を這う小虫を目で追ったりしていた。住宅のひしめく狭い空から細く細く差し込む太陽の光を見て、ただひたすらボーっとしていたのだ。だが決してボーっとしたかったわけではない。ボーっとせざるを得なかったのだ。

 貧乏だったのである。ロクに飯が食えなくてフラフラだったのだ。
 実家が京都にあり通う大学も京都にあるにも関わらず実家を出て、高校を卒業するなり一人暮らしを始めた。そしていろんなバイトをした。ハウスクリーニング業、居酒屋、祇園のスナックのボーイ、メッセンジャー、下水管清掃業・・・。しかしやっぱり毎月重くのしかかってくる家賃が苦しくて、ほとんど栄養のなさそうな食事ばかり続けていた。2週間で600円しか使えない時もあった。毎日一食だけ、しかもモヤシ一袋のみ、という状態だった。しかし本当にモヤシにはお世話になったなあ。さすがに2週間毎日同じ味だと飽きるので、韓国風ナムルにしたり味噌炒めにしたりカキアゲ風にしたりおひたしにしたり、いろいろ工夫したがやっぱりツラかった。
 その頃、ちょうどDJを始めたのでレコードを買いまくったり京都府の社会人リーグでサッカーをしたり遊びまわったり、そういうものには金を惜しみなく使っていたので、気持ちは充実していた。ものすごく楽しい時期でもあったが、貧乏だったのだ。
 カーテンの閉まった薄暗い部屋で目を覚ますと、布団から這い出す元気もあまりなく、昼過ぎまでそのまま布団にくるまっていたりした。しかしそろそろ布団から出ねばいかんな、と思い、思い切って布団を蹴って起き上がる。フラフラする足で台所に行き冷蔵庫を開けるが、番茶と味噌、モヤシがちょろっとくらいしかない。仕方ないので番茶をぐいっと飲み、モヤシのちょろっと入った味噌汁を作り、それをすすりながら窓際に座って庭を眺めたり音のないテレビを見たりしていたのだ。もちろんそんな状態では学校に行く気にもならなかった。

 ある日、またモヤシを買いに行こうと玄関を出ると、玄関先に何かがパンパンに詰められたコンビニ袋が2つ転がっていた。「ああ、何かの嫌がらせやぁ、ホンマいややなぁ」と思いながら開けてみると袋の中からビックリマンチョコがあふれ出てきた。頭の中がハテナでいっぱいになりながらも袋の中身をさらにチェック。包装が無造作に開けられたビックリマンチョコがびっしり入っていて、全てシールだけが取り出されている。訳もわからずそれを部屋に持ち入り、残されたチョコをひたすら食った。モヤシ以外のものを食えた喜びに少々身もだえながらしかし、これは一体誰の仕業か、と考えた。考えたが結局わからなかったので、袋の中のチョコを数えてみたら300個近くあった。いろんな友達に電話してみたが心当たりは無いという。そのまま夕方までボーっと考えていた。
 突然玄関を激しく叩く音がした。玄関に行ってみるとドアの外から「チョコ食ったけー」と聞こえた。ドアを恐る恐る開けてみると、ショウゴが立っていた。話を聞くと、最近突然ビックリマンシールを集めたくなって、いろんなコンビニのビックリマンを買い漁ってるのだという。で、チョコが食いきれずに俺の家の玄関先に置いておいたのだというのだ。普通ならとんでもなく迷惑な話だが、その時の俺にとってはとんでもなく嬉しかった。
 それから1ヶ月半、毎日三食ビックリマンチョコを食った。毎日ビックリマンチョコだけ、である。それからもショウゴはときどき玄関先にチョコを置いていった。1ヵ月半のうち後半は、ビックリマンチョコを見ただけで吐き気がしたが、しかしそれしか食い物が無かったのでひたすら食った。合計500個近く食っただろうか。そしてまあ誰でも想像がつくように、体調を崩し病院に行く羽目になった。お医者さんにこっぴどく叱られた。
 自ら選んだ貧乏だったが、食を犠牲にして買ったレコードたちや俺の貧乏生活を笑いながらも見守ってくれた友達は今でも一番の宝である。

 そんな生活を4年ほど続け、今は実家に帰っている。就職する春からはまた家を出て一人暮らしをするが、今度はどんな生活になるんだろうか。
 そんなことを考えていると、オカンが「晩御飯できたでー」と呼ぶ声がした。俺は音のないテレビのスイッチを切り、結局まるちゃんはなんで紙風船をかぶってたんだろうと思いながら「はーい」と返事をした。俺はなんで音のないテレビが好きなんだろうか。