道はつづくよどこまでも

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 古仁屋の海の駅を後にしたのは昼の2時過ぎだった。そこからまたレンタバイクにまたがり、奄美大島の南端の海岸を時計回りに走っていく。アップダウンがあり、峠の道は細く、木々の間からのぞく海はどこまでも蒼い。空気はウマイし、風は心地いいというには少し冷たいけど、気分は爽快であった。そして確実に、さきほどの夜光貝のウマさに触発されてビールを欲している体の反応を感じていた。ビールまで、まだ100キロある。
 峠の道は軽トラ1台の幅で、対向車がきたらバイクでも往生しそうだが、対向車どころか見渡す限り人の気配はない。この絶景と空気をひとり占めである。途中で後ろから2サイクルのけたたましいバババババという排気音のオフロードバイクが迫ってきたが、左ウインカーをだして道をゆずると、オフロードバイクに乗ったあんちゃんは片手をあげてライダーなりのあいさつをして抜き去っていった。こっちは50ccのスクーターだというのに律儀にもライダーとして扱ってくれたあんちゃんに好感をもち、俺はさらに気分よく4サイクルのエンジン音をブィーンと細道にひびかせ先を急いだ。とは言っても50ccである、遅い。
 小さな集落をいくつも抜け、けだるい午後の空気を感じながらひた走る。パジャマのようなラフな格好の小学生がランドセルをしょって下校しているが、きっと帰路は何時間という単位なのだろう。集落と集落の距離の間隔は島とはいえ地球的な規模の距離である。こうしてこの島を走っていて、この島の魅力であり厳しさでもある「大きさ」を知っていく。皆たくましい。大阪の人たちが、毎日この距離を歩けるだろうか。

 こうして走っているところどころに、天然のマングローブの群生をたくさん見た。島の東端あたりにマングローブパークなるものがあったが、そこはレンタルカヌーの群れが発する黄色い歓声が充満しているような場所で、日本最大級の天然のマングローブ原生林とはいえ近づくには気が引けてしまう様相であった。そのパークからはかなり離れたこの誰もいない小さなマングローブの群生に心なごみ、バイクを何度となく停めてそれを眺めた。人工的なものは何もない、荒波の外海からは隔たれた天然の入り江のこの小さな命の営みにただただ心がきれいになっていく気がした。ほんとの自然ってやっぱりスゴイのだ。
 マングローブと聞けば木の種類の名前かと勘違いする人が多いようだが、これは実は淡水と海水の入り混じる水域に育つ樹木の総称でしかない。マングローブという名の木はないのである。南洋の汽水域に見られる植物の総称であるが、見た目にみんな同じに見えてしまうので全てひっくるめてマングローブと呼んでいるようだ。
 ところどころに見られるマングローブはとても小規模なのだが、なんだか「がんばれ!!」という気持ちになってくる。どことなく人工的なマングローブパークなんかに負けるな!という応援の気持ちがはたらくのだが、応援したからって「うぉりゃああぁぁぁ!!!」と伸びていくわけではないので、ほどほどに生温かい視線を送っては次に進んでいった。

 そうして寄り道しながら歩を進めていると、ある廃村にたどりついた。骨格だけのような建物の残骸のなかに朽ちた小学校の校舎があり、呼び込まれるようにその敷地に入った。鎖で閉ざされてはいたが、どうしてか気になって鎖をまたぎ足を踏み入れた。雑草が生い茂り、ハブのいるこの島で丈の高い雑草をこいで進むのは緊張したが、小さな校舎と体育館、便所を見てまわるうちに、かつてここで楽しく声を張り上げて遊び学んだであろう子供たちの姿が目に浮かぶ。便所も汲み取り式の旧式のもので、男女の区別もない。校舎の教室は4つしかなく、ずいぶん前から少人数の生徒だけでやってきたことがわかる。体育館には卓球台が広げられたまま放置されており、脇にある卒業生の碑には毎年の少数の卒業生の名前が刻まれていた。ここを母校にしたその子たちが再びここを訪れるときに、どんな気持ちでこの姿を見るのであろうか。しかし目の前の真っ青な海とどこまでも高い空の下で、この廃校は静かに役目を終えて穏やかな余生を送っているように見えた。
 そして俺はまた原付バイクに乗って歩を進める。

 いくつかの集落を抜け、油井(ゆい)という集落にちょっとキレイな体育館が目立つ小学校があり、またバイクを停めた。体育館に近づくと、卒業式の予行練習をしている声がする。そこで敷地に入って校長先生の撮影許可をもらって様子を見せてもらえばよかったのだが、先に進みたいという気持ちと、冷風にさらされ続けて早く宿に帰りたいという気持ちがジャマをして、その手前でウロウロしてみるだけの状況になった。写真を撮る者としてナサケナイが、自分が思っている以上に消耗していた。そして「撮っていい」「ダメ」などと物言わぬ植物にレンズを向け、さほど興味のない桜の花びらなどを撮った。こういう写真は後になんの印象も残らない、いわば退屈な写真のひとつに過ぎないと知っていたので敬遠していたのだが、人にレンズを向けるには結構な気力が必要なのだ。仕方なく花を撮ったり道を撮ったり石ころに腰掛けたりしていると、突然どこからか鐘を鳴らす音がした。もしかしたら俺のような不審者が集落に侵入したときの警笛かもしれない!と緊張したまま固まっていると、山からひとりのオジジが降りてきた。俺が緊張してオジジを見つめているにもかかわらずオジジはぼんやりと集落の目の前の蒼い海を見に波打ち際までトボトボと歩いていく。その様子からして不審者への警笛ではないことを察し、そのオジジに声をかけてみた。
 その鐘は、毎週水曜日に集落の老人をあつめてゲートボールをするための、集合の合図だそうだ。本来は年に1度の祭りのために使われる鐘だが、1年に1度のためにぶら下がっててももったいないのでこうして有効に使っているのだという。そしてオジジと海をながめながら数分待っていると、集落からその鐘の音に呼ばれた老人たちがぞろぞろと集まってきた。

 さてゲートボールするには充分な人数があつまったぞ!という様子ではあるのだが、一向にゲートボールは始まらない。みんなまずこの1週間分の世間話を始めるのだ。目の前には総勢10人ちょっとのジジババたちが集まっている。おれは人の写真を撮るカメラマンなのでそこで絶え間なくシャッターを切る。
 シャッターを切りながら話をする。皆おれの話を聞きたがる。しかし俺はジジババの話がききたい。この攻防のなか、いつゲートボールを始めるのかと待っていたのだが、数十分経ってもまだ始まらない。そうしてようやく1時間ほどして分かったのだが、ゲートボールというのは口実で、みんなこうして話をすることが楽しみだったのだ。ゲートボールなんてオマケの1つに過ぎなかったのである。
 そうしているうちにどんどん日が暮れる。もう夕方の4時を回ってしまった。ずっとここで話をきき、どうにでもなれ!と夜をむかえてしまうのも悪くない、と思ったが、今晩は約束があるのである。名瀬市に戻って、会いたい人がいるのだ。
 ゲートボールを始める前にすでに宴もたけなわな老人たちに写真をとらせてもらったお礼をし、また名瀬市内にむけてバイクを走らせることにした。

 すでに日は相当に傾き始めている。名瀬市街まであと70キロ以上はあるだろう。もう法定速度は守っていられないのだ。

(まだつづくであろう。)