共に歳喰うヒトビト

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 肩甲骨の少し上のあたりの筋肉がくうっと緊張しているのがわかる。背筋なんかもいつになくぴしゃっと伸びている。この記事が今年のラストとなるわけで、やっぱりすこし気持ちが引き締まって、おごそかな気分になっているのであります。そうなのでありますハイ。世間の多くの見知らぬ人たちがそれぞれ自分の一年を思いだし頭に浮かべながら、よかったなぁとか、なんだよコンチクショウ!とか、あたし幸せだったもんねそうよねタックン、タックンもよね、とか、まあ、そうやって思いふける時期なのだ。多くの人々にとって極めて大事な時期というわけである。
 俺だってそうだ。俺の場合はタックンに自分の一年の締めを託したりはしないが、やっぱり人と共有した幸せが多くて良い一年だったんじゃないかと、そう思うわけである。俺は人に恵まれている。これを書いている12月26日(ブログに掲載されるのは28日)、今日はどんなに長文になってもいい、俺の大好きな人たちを紹介させていただきたい。
 あ、ここに登場する人の順番には特になんの意味もなくて、本当にごちゃまぜ感覚で並んでいることを書き添えておきたい。順位順番を付けること自体が嫌いなので、そういった思考は全く持ち込んでいないのでそれを念頭に置いて読んでもらいたい。そして視点は言うまでもなく、俺の目である。

 まず、ボーボ。
 もう、見るからにニックネームそのままの男である。その外見イメージから、誰からともなく命名されたニックネームだから仕方がないのだ。そしてこいつはバカである。それは疑う余地もなくバカなのである。「匂いのある音楽が好きや」という名言を残す音楽バカであり、「女の子はウンコをしない」と信じて疑わないメルヘンなバカでもある。そんな、聞いていてクスッと笑ってしまうような、かわいいバカなのだ。妹系アイドルを愛してやまないボーボに、「お前はロリコンだ!」と言って、本人にそれを認めさせるのが2006年の目標の一つでもある。そして初めてボーボと会った中学時代、こいつは角刈りとスポーツ刈りを混同していて、どう見てもそれは角刈りだったという事実もここに書き加えておかなければ俺の気がすまない。
 うーん、なんだかこう書いていると、読んだ人はまるで俺がボーボのことを嫌っているように思うかもしれないが、一緒に甲子園中継を見ながらビールを飲み、焼きたてアツアツのギョーザを食う仲である。俺が一人暮らしをしていた時、極貧のあまり究極に不健康な食生活をしていた俺に、梅干しと野菜とふりかけを買ってくれるような友達想いの優しい奴なのだ。

 はいきた、ダッチョ。
 こんな奴には未だかつて出会ったことがない。なんというか「俺」なのである。何かくやしいけど「ぼっくり」っぽいのだ。これはくやしい。だって、何をしていても心を読み取られてしまうのだから。同じ小学校で育ち、同じ少年サッカーチームで育ったのだが、その時はそんな奴だとは思いもしなかった。負けん気が強くて力も強くて、正直とっつきにくい奴だったのでサッカー以外ではあまり関わったことがなかった。小学校を卒業するとダッチョは校区が違う地域に引っ越したので、それ以来会うことはなかった。再会したのは2年ほど前で、京都の木屋町にあるクラブ「WORLD」で、俺がその日そのイベントでDJしているとも知らずにダッチョはお客さんとして来ていたのだ。トイレの前で会ったときに俺はそれがダッチョだとすぐに分かったのだが、ダッチョは俺が自分から名乗るまで気付かなかった。ここまで仲良くなったのはここ半年くらいのことで、それまではやっぱり小学生の時に染みついたイメージのままに捉えていた。しかし今は、クリスマスの夜にラジオから流れる「戦場のメリークリスマス」を聴きながら天井の裸電球をながめ、一緒にため息をつく仲である。
 そしてこのブログの読者から届く感想メールの中で、ダッチョに関する内容がダントツに多いことも興味深い。その中でも特に目立ったのが、「ダッチョのあだ名の由来が知りたい」というものだ。それに答えたいのだが、期待に応えられるほど面白いものでもないということが心苦しい。「ダッチョ」の由来は、苗字の「山田」からきている。マッチョとかギッチョとか、世の中には多くの「ッチョ」がいるが、ダッチョの場合それが「山田ッチョ」だった訳である。そして長ったらしいので「田ッチョ」と略されるのにそう時間がかからなかったのも、ごく自然な成り行きだった訳である。くそう、あだ名の由来に関してまでも面白みに欠けていてツメが甘いところもまた俺とそっくりなのだ。心憎いではないか。気が置けないという言葉では全然足りないほど気の置けない奴だというのも、それがあたかも俺がもう一人そこに居るような感覚なのだから仕方がないのだ。
 そして俺とダッチョは、このそっくりの脳ミソのカケラを何らかの形にして、少しずつ世に送り出すことを企んでいる。静かに期待してくれる人が少しでもいれば幸いである。

 ナガチャン。
 マッチョですね、そう、マッチョなのだ。ナガチャンはスポーツジムのインストラクターをしていて、仕事柄どうしてもマッチョになってしまうのだが、どうやらそれだけが原因ではなさそうだ。それに気付いた発端は、ふな釣りである。俺たちは淡水魚を釣るときによく小麦粉と卵黄を混ぜた自家製の練りエサを用意するのだが、そうするとどうしても卵白の部分が余ってしまう。余った卵白をどうしようかと困っていた俺に、ナガチャンは「ちょうだい」と言った。それを取っておいて後で料理にでも使うのかと思っていたのだが、なんとナガチャンは俺の目の前でそれを一気に飲み干したのだ。正直びっくりした。というか、そんなナガチャンに一瞬おびえた。俺がそのままおびえた表情で唖然としていると、ゲップをしながらナガチャンは俺に一言「たんぱく質」と言ったのだった。俺はそれに、コクンと頷くことしかできなかった。
 そんな「自ら望んだ筋肉」に包まれたナガチャンはその強靭な体とは裏腹にものすごく優しくおだやかな性格だということは、きっと初対面の人には分からないだろう。一緒に飲むときも(卵白ではなく酒を)、真っ先に枝豆にがっつくのはナガチャンなのだが、最後に1、2個ほど皆のために残しておく気配りを忘れない。しかしその飲み会には枝豆の1、2個では足りないほどの人数がいたということも、残った豆を奪い合わせることで俺たちへ危機意識というものを植えつけようという親心にも似た優しさであり、神秘的とまで言える特別なメッセージなのである。ナガチャンのその神秘性を裏付けるものとして、深夜にコンビニのおつまみコーナーでピスタチオを買い占める姿がたびたび目撃されていることも、特筆すべき事実である。きっとそこにも何らかのメッセージが込められているに違いない。

 ショウゴ。
 こいつはナガチャンとは対照的に、デブである。これでもピーク時より7キロ痩せたんやぞ!と力強く言われたって、そこに居るのはどう見てもデブなのだ。しかし天性のデブではない。少年サッカー時代はトリガラのような華奢な体で、細かくちょこまかと技巧みなドリブルに相手はたじたじだったのである。その実力は地域選抜に選ばれるほどだった。中学を卒業して俺と違う高校に進む姿を見送るまでは華奢で華麗なドリブラーだったのだ。ところがどうだ。数年ぶりに会ったショウゴはまるでダルマのようにまるまると太り、のっしのっしと歩いているではないか。しかもハァハァ言っちゃってるではないか。だがボールを蹴らせてみたら、昔のままの細かく巧みなドリブルだけは健在だった。体重のせいと言うべきか体重のおかげと言うべきか、そのドリブルに力強さまで感じてハッとさせられた。しかし、俺はハッだったけどショウゴはハァハァだったのですね。そこから7キロ痩せたと眉を引きしめ力強く言うんだからどれ程のものかと思って、ダッチョの弟二人(小6と小4)と30メートルダッシュ勝負をさせてみた。もう、ガッカリしましたね。ハナ差だったのである。だがしかしハナ差でショウゴが勝ったのか負けたのかは審判団による10分間にものぼる審議の結果で、決め手は「華をもたせてやろうか…」の一言である。ダッチョの弟二人には「八百長なんじゃねぇか!」との厳しいヤジも飛んだが、それは迷宮入りである。どっちにしろ最終的には「24歳相手に大健闘」もしくは「デブに華をもたせた」ダッチョの弟二人が喝采を浴びることになったのは言うまでもない。

 さぁて、ここまで書いてみてどうだ。
 「紹介したい人が多すぎて書ききれぬ!」というのが正直な感想である。この調子で書いていくと28日のブログ更新日どころか、年を越しても社会人になる春を迎えてもまだ足りないほど、紹介したい人がいるじゃないか。これには書き始めてじんわり焦った。書いていてものすごく楽しかったのだ。俺はこんなにも多くの人に笑顔をもらいながら歳を重ねていたんだなと、実感せざるを得なかったのである。ここに挙がった数人はその笑顔の氷山のほんの一角である。そして書き始めたからには、自分に関わる楽しい人々をもっともっと紹介していきたいなと、そう思った。両親や兄弟や親戚、地元の友達、今までに惚れた人、自転車選手時代の同志、音楽を通じて知り合えた仲間や先輩、春から共に働く仲間、バイトで知り合った奇想天外な人々、サッカーを通じて知り合えた人々、釣り場で会話を交わした人々・・・関わりの濃淡こそあれど、その出会いのどれもが平等に尊いものだったんだなと、こんなことを書くのは正直恥ずかしいけどこれは今の素直な想いである。お、いいぞいいぞ、年の暮れにふさわしい雰囲気になってきたではないか。

 しかしせっかくのこの雰囲気を無視して、俺はあえてここで自分のことを書くのだ。それは自分の「書くこと」への想いである。わざわざ自分でこうやって書く場をこしらえるほどだから、間違いなく俺は「書くこと」が好きなのだ。最近よく地元の友達と遊んでいて、その中で、友達の家でニヤニヤしながら卒業アルバムを共に見たりすることもあった。そこで家に帰ると、俺も自分の家の押入れから数冊の卒業アルバムをひっぱり出してみた。その中には幼稚園の卒業アルバムもあり、そこには思い出や将来の夢を書く欄があった。ある友達の夢はパイロットであったり、またある友達は看護婦さんだったり、弁護士であったり、お嫁さんであったり。そして自分のページまできて「うーむ」と唸ってしまった。
 幼稚園時代の俺の夢は「ほんやさん」だったのだ。あの、全国どこにでもある本屋さんである。それを書いた時の記憶を探してみると、けっこう鮮明にその情景や思考を覚えていた。「しろぐみ」の教室の真ん中にある真っ白なテーブルの一番端のあたりで、しろぐみのガキ大将「タクチャン」の隣に座りそれを書いていた。その時俺は本当に「一日中本に囲まれて本を読んで、客のほとんどいない店内のどこかで何かをのんびり書いていたいな」と思っていたのだ。だから俺のいう本屋というのは紀伊国屋書店やブックファーストのような大きな本屋ではなく、廃れたローカル線の脇にひっそりとたたずんでいるような小さな本屋のことだ。その中で一日中本を読んで、ときどき店内を歩きまわっては本棚のホコリをはたき、店内のどこかでモゾモゾとなにか思うことを書いていたい。それが幼稚園生の夢だと思うと淋しくもなるが、俺はそれを見てジワジワと嬉しかった。
 そのアルバムをもらったということは幼稚園を卒業して小学生になったということだが、その後いつまで本屋の夢を持っていたのかは記憶にない。でも作文の宿題や日記をつけることを楽しんでいたということは明確に覚えている。その一つに遠足の感想文集があるのだが、俺の作文を見ると書きすすむにつれて字が躍ってどんどん雑になっているのだ。俺は今でもそうだが、書いていて気分が乗って楽しくなってくると書くピッチがずんずん上がり、どんどん雑になって後で読むのに一苦労という具合になる。でもそうやって書くことを本当に楽しんでいたんだなぁ。
 小学校の卒業文集にも将来の夢を書く欄があったが、そこには「サッカー選手」とあった。でもそれを書きながら、きっと違うな、と思っていた。同学年の中にサッカーをやっている奴がやたらと多かったので、そう書かないとヤル気がないとかコーチに言っちゃうもんねとか、そういう風潮があって「サッカー選手」としか書くことを許されない状況だったのだ。実際にプロサッカー選手になることが夢だった奴も多いだろうが、俺は夢なんてその時は明確になかった。幼稚園時分のほうが正直で自分の性根をよく分かっていたんだなと、掘りおこしてきた数冊のアルバムや文集を閉じて思ったのだった。

 今もまた幼少の頃のまま書くことを楽しんでいるなぁと、そう感じている。今は鉛筆で紙に直接書くというわけではなくパソコンのキーボードを叩いている訳だが、今こうやって書いているこの文字は大きく大きく踊っているのである。鉛筆文字にしたらものすごく雑で読解不能なはずである。パソコンは便利なツールである反面、その文字の躍動を視覚的に伝えることはできないのだが、この心の躍動はどこまで伝わっているだろうか。
 今日書いたように、ここに書いた人たちと、書ききれなかった多くの人々と、これからの無数の出会いと共に来年もまた笑顔で過ごし、そんな一場面を切りとるようにここに書いていこうと思っている。きっと2006年に残す文字も大きく激しく踊っているはずである。そしてこの2005年最後の記事上で改めて、このブログを読んでくれている人々、感想のメールをくれる人々、まだ見ぬ多くの読者に感謝していることを書いておきたい。

 ありがとう、来年もあなたにとってきっと良い年になりますように!