ウクレレではなくカモメがいた、福井県での一週間単独行。

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 8月の盆明けに長期休暇をもらえたので、日本海の浜でテントでゆっくり過ごすことにした。盆が明けているので友達の誰とも休みの都合が合わず、単独行となった。どうせ単独ならと、福井県の名もない誰も来ないような隠れた浜を選び、一週間分の食料を買い込んで出発した。
 その浜にたどり着くには、市街地から遠く離れた細い公道をすすみ、さらに脇の林の中のケモノ道をぬけて一度海に入り、海側から大きな崖を迂回してやっとたどり着ける。そこは小学生の頃に、町内のオジサンに一度遊びに連れて行ってもらったことのある浜で、その頃の記憶をたどって行ったのだが、今も昔もほとんど人間が足を踏み入れていないようで、古い記憶のままの光景であった。荷物を濡らさないように頭のうえにザックを乗せ、胸くらいの深さの海を歩いて崖を迂回する。ザックにはウクレレが入っているので濡らすわけにはいかない。
 しかし浜に着きザックをほどくと、入っているはずのウクレレは無かった。すっかり家に忘れてきてしまったのだ。
 でもまあ目の前には綺麗な海が広がっているし、ウクレレくらい、まあいいか!と海パンに着替えて即座に海に飛び込んだのだが、着水するなり唇をクラゲに刺され、その痛みに悶絶しすぐに浜にあがると、なんとなく三角座りになって、しずしずとウクレレのない淋しさを噛みしめるのだった。

 それでも昼間はよかった。クラゲが多くとも長袖のTシャツを着て刺されるのを防ぎ、素潜りで貝を獲ったり、遠くの岩場まで泳いでいって釣りをしたりした。釣れるのは相変わらずフグが多かったが、チヌ(黒鯛)や小グレやカサゴが釣れて、食事は豪勢だった。泳いだり潜ったり魚釣ったりに疲れると、浜にひっくりかえって文庫本を読みながら、うたた寝などをしていた。
 しかし日が落ちて真っ暗になると、焚火の横で焼酎をちびちび飲む以外にすることがないのだ。初日は、田舎ならではの気持ち悪くなるくらいの星の数に見とれて一晩を過ごしたが、さすがに2日3日と経つにつれてウクレレが恋しくてたまらなくなった。焚火があって、酒があって、満天の星空があって、ウクレレがないのである。しばらくは鼻歌などでごまかしてみたが、それのせいか余計に恋しくなって、ついに5日目の朝に予定を早めて帰ることにした。

 そして帰りを早めたのにはもう一つ理由があった。その浜には、羽根の骨を折ってしまったカモメがいたのだ。そのカモメはどうも足も悪くしているらしく、ヨチヨチ程度しか歩けないし泳げない。しかも羽根を痛めているので飛べない。不幸にもこの浜は崖に囲まれており、飛ぶか泳ぐかしないと脱出できない。その両方ができないそのカモメはただただ衰弱していくしかなかったようだ。
 そこへ俺が現れ、最初は相当ビビッていて浜の端まで逃げていたが、だんだん慣れてきて5メートルくらいまでは寄ってくるようになった。そして俺が料理で余った魚の頭などを浜に置きっぱなしにしていると、カモメはそれに近づき即座に一呑みで食べていた。エサを獲ることもできず相当腹が減っているようだった。それから毎日、余った魚の頭などを投げ与えるようになり、だんだんそのカモメが可愛く思えてきて、カモメも安心したのか手の届くところまで寄ってくるようになった。夜に焚火をしながら酒を飲み、鼻歌を歌っている俺の横でカモメはじっと海を見ていた。

 ここにウクレレがあれば俺は何日でもそうしていたかったが、しかし仕事もあって長くとも一週間しかここには居られない。

 せめてこの浜から脱出させてやろうと、4日目の昼にカモメを捕まえにかかった。するとカモメは渾身の力で逃げるのである。やはりいくら慣れてきたとはいえそれは野生の生き物であって、恐怖いっぱいになった目でギッと睨まれると、俺も捕まえるのをやめた。そしてその晩、翌日家に帰ることを決めたのである。
 帰る朝、早起きをして魚をいっぱい釣った。そしてそれらを浜にぶちまけ、カモメにたらふく食わせてやった。俺にできるのはここまで、そこからは野生のカモメとして生きるしかないのだ。そしてそそくさと帰り支度をして、俺は帰った。

 帰ってから毎日ウクレレを弾いた。単独行のときにウクレレのない淋しさを味わってしまってから、どこへ行くにもウクレレを持っていくようになった。その熱は冷めることなくどんどん加熱している。仕事でイヤな事があってもウクレレを弾いていれば忘れられるのが不思議だ。これからもずっとウクレレを弾いていたいなあ。
 あの浜のカモメは元気にしているだろうか…と、ウクレレを弾いているとあの夏を思い出すのである。そしてもう「あの浜のカモメ」ではなくなっていてほしいな、と思うのである。