あいかわらず島旅は続いているのである。
今年の冬は徳島県阿南市沖にある伊島へ行き、のんびりと何もせず過ごした。本当に、何もしなかった。朝起きてぼんやりと海を眺め、メシを食ったらフラフラとそのあたりを歩き回り、昼過ぎには疲れて海を眺めて昼寝、という塩梅である。夜にはやはり島だけあって周囲365度は海に囲まれている環境で、海の幸ふんだんの晩メシを喰らうのだ。海の幸ふんだん、というよりは、米以外は海の幸しかない。季節の魚と貝類、焼いたり煮たり刺身にしたりと、ごくごくシンプルであるのだが素材そのものがウマイのだから出来たものも当然ながらウマイのだ。小言すら漏らすヒマもなくゴリゴリと海の幸を食い漁った次第である。島はやっぱりこうでなくっちゃな。
あっという間に過ぎた伊島での一週間。仕事のある現実社会に戻ると、望んでもいない転勤が待っていた。日本の中で最も嫌いな「大阪」への転勤である。大阪の何が嫌いかとは細々とまでは書かないが、大きく言うと「面倒くさいまでの主張の強さ」と「作られた大阪のイメージに、ただ乗っかっている大阪の人」というものだ。完全にシカトして過ごしたい人間が大半なのだが、仕事なのでそうはいかない。果てしなく面倒くさい。
そしてそんな「大阪人」のなかにも、わざわざ大阪人であることを意識せずに、ごく自然な大阪人として過ごしている人がいて、そんな人はしっかりと美しく、主張の過ぎる人々のなかで逆に輝いてみえる。大阪の全ての人を見たわけではないが、小売業で毎日それなりに多くの人を見てきた立場から言わせてもらうと、大阪人はわざわざ自分のことを「大阪人」だと主張しすぎなのではないか。もちろんすべての人がそうだと言っているわけではない。でも「大阪」という地域性を捨てた単純なる自分の「個」の部分をもっと大事にすべきでは、と思っちゃうのだ。
と偉そうに書いたが、京都人だって東京人だって鹿児島人だって島人だってある程度は同じなんだろうな。けどやっぱり、大阪の人がいちばん自分たちのことをわざわざ「大阪人」だと主張していることが多いんじゃないかなぁ。俺にはちょっと胸ヤケしてしまうのだ。しかしこんな大阪や大阪の人に相性の合う人もいるのだろう。
あぁ、細々とまでは書かない、と言ったわりには長々と書いてしまったな。
そんな胸ヤケ状態から逃げ出すべく、5月には兵庫県姫路市の沖にある家島へ行った。本当になんの予定もしていなくて思いつきで行ったのだが、ここでも美味しい海の幸が出迎えてくれた。ちょうどモンゴウイカの最盛期のようで、こりこりと口のなかで弾ける食感を楽しみつつ、にじみ出る甘みに身もだえつつ、ビールとともに胃袋に流し込みつづけた。なんと極楽な島なのだろう。イカの他には、シャコやアナゴやタイやスズキ、そして何より島の名物であるメバルが美味しかった。メバルは春を告げる魚として日本各地でなじみがあるが、とくにこの家島近海ではよく釣れるのだという。メバルそのものの甘さを生かした薄味の煮付けは、その名のとおり目を見張るウマさがあった。
連日、魚売りの露店のまえで血走った眼でずっと魚を見つめていたので、その露店のおばちゃんに顔を覚えられてしまった。おばちゃんは幼い頃からずっとこの場所で魚を売っているそうで、島のことを質問すると何でも答えてくれた。そのおばちゃんの勧めるがままに激安のレンタサイクルを借り、島のいろんなところを走り回ってみると、すっかりその景色や空気感、いわゆる「島時間」にやられてしまった。これぞ我が想う天国に近いのではあるまいか。ハアハアと興奮と運動不足の動悸息切れにあえぎつつ、雨の降りはじめた家島で最後に出会った島人である「乾物屋のおっちゃん」とは今でも文通まがいの手紙を交わす仲にまでなってしまった。
6月は三重県鳥羽市の沖にある答志島へと渡った。なんとなく気だるい心地よい島の時間の流れを楽しみつつ、もうだいぶ夏に近くなった日差しの下を汗ばみながら歩き回る。島に来てのんびりと何もせず過ごすのも良いが、人との出会いを足で稼ぐことも大事だ。ぼんやり一人で歩いているよりは、島のことをよく知った島人の話を聞くことが、島を楽しむヒントになったりする。
島に渡ってからアテもなく歩いていてちょうど腹が減ってきたところで「ロンク食堂」というよろず食堂を見つけた。ここで伊勢うどんを食い、島のことをボツボツと聞く。伊勢うどんというのは讃岐の生醤油うどんと似ているが醤油ではなく濃いダシ汁をかけて食うもので、トッピングにもずくなどを乗せて食べる。強いコシはないがもちもちとした麺に深いコクのあるダシ汁が絡んで、なかなかウマイのだ。ハフハフと食いすすむ最中にも島の話を聞いており、近くに魚市場があることを教えてもらった。
そして厨房のなかも見せてくれたのだが、そこには丸々と太ったスズキが2匹、しずかに横たわっていた。そんなのを見せられちゃぁ、鼻息が荒くなるのをおさえつつ魚市場に向かうしかないではないか。しかし小走りで向かった魚市場は、関係者以外立入禁止であった。それもそうだ、こんな鼻息の荒い旅行者がまぎれ込んだらジャマだもんねぇ。
その後は堤防で釣りをしてるオッサンを眺めたり、小学校にお邪魔して先生や小学生といっしょに竹馬をして遊んだり、魚屋のおばばとトビウオについて語りあったりして過ごした。島の雰囲気とおなじようにぼんやりと時間はすすみ、しかしぼんやりと海に落ちていった太陽を惜しむ気持ちはまったく無く、夜は夜で魚介類と真っ向勝負である。なんせこの日の宿には極上コースの晩御飯をたのんであるのだ。
あっつあつの風呂から上がって夜風をたのしんでいると、いよいよ晩御飯ができたようである。まず料理にはまだ目をやらずにビンビールの栓をシュコッと開け、ぐびぐびと喉を鳴らしてから、目の前にひろがる海の幸の桃源郷をまじまじと眺めまわす。嗚呼、嗚呼…。
やはりここは鳥羽の沖であって、伊勢エビ、アワビ、サザエ、そして様々な魚の刺身たちが猛烈に俺にむかってM字開脚しているのだ。嗚呼、嗚呼…!!
島の人はよく分かっている。手を加えるまでもなく、新鮮な魚介類はウマイのだということを!ことごとく刺身である。手を加えてあるものもあるが、あくまで薄味に仕上げてあり、その繊細な味を調味料でムリに隠さないのでありますね。いやはや、よーく魅力を知ったうえでの料理の数々なのである。まいったまいった…と、ただただビールをおかわりするしか成す術がなかった。
ヘベレケになってまた夜風にあたりに海辺に出向いた。港には誰もおらず、黒い海のてっぺんの波の先っちょを月明かりが照らしていて、そんな小波のちいさな三角がずっと目の届かなくなる遥か遠くまで無数に無数に続いていた。頭上を吹きぬける風が、小さな電灯につづく電線をびょうびょうと揺らしていて、なんとも、なにものにも代えがたい静かな幸せのひとときであった。