どうも外の物音が気になる。屋根の上を何かがドドドっと走るような音がしたり、遠くでは銃声のような乾いた音が断続的に聞こえているのだ。その音の正体を確かめたかったのだが、この寒さだ、この布団の温もりからは一秒たりとも離れたくない。それにこの部屋の窓はシャッターをぴっちり閉ざしていたので、それをわざわざ開けなければならないのも煩わしかった。
また猿の群れでも現れたのだろうか、この銃声は猿を追い払う空砲の音なのかもしれないな、それにしても真夜中に空砲だなんてそんな迷惑なことするだろうか、一体何の音だろう。真夜中の静寂にひびく聴きなれない音を不気味に感じながらも、布団にくるまって目をつむり遠くの音の正体を想像しているのはなかなか心地がよく、そのまま眠ってしまった。
翌朝、その正体が一つわかった。まず窓のシャッターを開けると視界一面、真っ白の雪景色だったのだ。シャッターを開けたとき、ちょうど屋根から雪の塊がドドドっと音をたてて滑り落ちてきた。屋根の物音の正体は、この小さな雪崩の音だったのだ。なるほどねー、と思いながらケンタの様子を見にいく。ケンタは犬なので、雪の日は喜んで庭を駆けまわっているはずなのだが、こいつはコタツの脇で丸くなって震えていた。まるで猫じゃないか。夜中ずっと寒さに震えていたのだろう、仕方ないのでしばらく俺の部屋にいれて、電気ストーブで暖めてやった。ようやく暖がとれて体の緊張がほどけたのか、ケンタはそのままストーブの前で寝てしまった。
あまりに心地良さそうに寝ているので、2時間ほどそっとしておいた。俺はあつい緑茶をすすりながら、しばらくぼんやりと本を読んだ。今日は一日まるで予定がないので、何をするにもゆっくりでいいのだ。
ようやくケンタが目を覚ましたので、さっそく散歩に出ることにした。散歩にいく気配を察したケンタはひゃんひゃんきゅうきゅう鳴きながら跳ねまわり、全身で喜んでいる。外は相変わらず大粒の雪がぼたぼた降っていたので、厚手の靴下にブーツ、防水加工されたパンツにダウンジャケットと耳付きのニット帽、手袋といった重装備になった。少し大袈裟な感じだが準備完了。よし、行こうか。
はしゃぐケンタに綱をつけ玄関を出ると、ケンタは動きをぴたりと止めて固まってしまった。どうやら今はじめて積雪に気付いたようだ。去年なら雪を見るなり狂喜して雪上をころげ回っていたが、今年のケンタはどうも様子がちがう。なんだか露骨にイヤそうである。前足でちょいちょいと雪の端あたりをつついたりして、まるで風呂の湯加減を確かめる人間のようなのだ。この場合はサウナ後の水風呂といったところだろうか。狂喜の犬から一転してサウナのオッサンと化したケンタは、しばらく雪を前足でつついたり舐めてみたりしたあと、3歩ほど後ずさった。どうやら「冷たすぎ、ダメ。」との判断のようだ。ここで気付いたのだが、じつはこの雪を喜んでいるのは犬のケンタよりも人間の俺のようだった。それを少し気恥ずかしく思いながら、重装備の俺は綱をぐいぐい引っぱって雪道に出ていった。
今年の初雪はなかなか立派なものだった。京都市の北の端に位置するここは、場所によっては20センチほどの積雪があった。20年ほど前のこの辺りの冬といえば雪なんてじゃんじゃん降っていたのだが、近年はめっきり貧弱な降雪ばかりで、なんだか潔くないな、と不満でもあった。しかし今年は秋にカメムシが大量発生したので雪の多い冬になるだろう、と言われていたのが当たったのか、例年よりずいぶん早い初雪となった。カメムシが多いとなぜ雪が多くなるのか因果関係はわからないのだが、なぜかこの予想がバッチリ当たるのだ。しかしこのカメムシと降雪量の話は全国共通なのだろうか。
まあそんなことは後でいい、今は散歩中なのだ。
いつもなら雪の深いところを好んで歩くケンタなのだが、今日は車のわだちを歩いていた。まだ12月上旬ということで雪はぼったりと水分を多く含んでおり、滑りやすくて歩きにくいったらない。靴紐をゆるく結んだブーツでときどき滑りながらガボガボ歩き、近所の神社に着いた。この辺りは紅葉がすごく綺麗で、今日はさらにそれが雪をかぶっていて格別だった。靴紐がゆるいと歩きにくかったので少しきつめに結びなおしながら紅葉を眺めていると、パカーンと聴き覚えのある音がした。昨夜、布団の中でぼんやり聴いていた銃声のようなその音である。音は神社の裏山あたりから聞こえた。ぎっちりと靴紐を結びなおすと、なんだか探検隊員のような気分になり、その音の正体をつきとめたくなった。探検隊といっても一人と一匹で、しかもその一匹はいまいち気勢のあがらないサウナ犬である。しかし貧弱探検隊は果敢に神社の裏山へ突入していった。
神社脇の林道を歩いていくと、時おり木の上からドドドっと雪が落ちてきた。それに反応するケンタの動きが心なしか機敏になっており、少し探検隊としての緊張感を持ちはじめたようだ。頼もしい相棒ではないか。雪をザッザッと踏みしめ林道を歩いていくと、今度は近くであの音がした。絶え間なく落ちてくる雪のしずくが雨のようにざわめいている中でひときわ乾いたその炸裂音はなにか快感でもあった。遠近さまざまな方向から断続的に聞こえるその音に近付こうと、林道をどんどん奥へ歩いていき、小さな溜め池まで来た。ここまではよく散歩しに来るのだが、池には見慣れない巨木が浮かんでいた。雪の重みで折れたのだろう、岸にその巨木の根のあたりが取り残されて尖っていた。
もっと奥まで行こうと池の横を歩いていくと、池を囲っているフェンスの一部が大きくへこんでいた。さきほどの木のように倒れた幹が直撃したのだろう、フェンスをごっそり押しつぶすその破壊力に驚いた。フェンスに当たって砕けた木片が散らばっている雪道をまたさらに奥まで進もうとケンタの綱を引っぱると、ケンタがなぜか頑固に動こうとしない。すると背後からギ・・ギギギ・・・と、きしむ音がしたので振りかえると、雪の重みで今まさに木が折れようとしていた。わっ!と思ってケンタのほうに逃げると、次の瞬間にパカーン!と炸裂音を発して木の幹がはじけ、轟音とともに倒れた。間一髪の危機をみごとに察知したケンタにえらく感動して頬擦りしながら、間近に体感したその迫力ある轟音に心奪われてしまった。そして、それがいけなかった。今さっき俺に襲いかかってきた木を乗り越え、さらに山奥に向かってしまったのだ。
奥のほうは広葉樹が多く、枝を横方向に広げる広葉樹は雪の重みに対して弱いようで、あちこちで木がきしみ、大小さまざまな炸裂音とともに枝が上から降ってきた。そんな木々の中で、折れそうにない巨木をみつけて根元のあたりにケンタと共に身をひそめ、それを眺めた。木のきしむ音がするとそこに視線を移し、きしみはじめてから倒れるまでの一部始終を見ていた。きしみはじめた木は雪をのせた枝に引っぱられるように幹がねじれ、パカーンという大きな炸裂音とともに幹に稲妻のような縦のヒビが走り、轟音をたてて倒れる。あたり一帯の雪が煙のように舞い上がって、轟音の余韻が静かに収束していく。しばらくそんな様子を楽しんで見ていたのだが、木のきしむ音がだんだん木の悲鳴のように感じてきて、なんだか怖くなってきた。もう山を下りようと思って立ち上がると、少し遠くの木がひときわ大きなきしみ音をあげはじめた。直径30センチほどの上にヒョロ長い木で、これが倒れてきたら危ないかもしれない。まるで本当に悲鳴のような音を背後に聴きながら急いで来た道を戻ると、背後でカーン!と炸裂音がした。もうだいぶ離れていたので余裕をもって振りかえると、その木が倒れた衝撃に連鎖してその一帯の木々が大ぶりの枝をばらばらと落としていた。そのままそこに残っていたら本当に危なかったな、と胸をなでおろし、もと来た林道までいそいで戻った。
だいぶ山を下ってケンタも安心したのか、林道の端のほうでウンコをするポーズになった。ウンコを拾うビニール袋をポケットから取り出そうとすると、あらららら・・・。ケンタのウンコは雪の上をツツツーっと滑って谷のほうに落ちていってしまった。ぽとぽとウンコをするたびにツツツーである。雪のうえを颯爽と滑っていくウンコたちを見て少し笑ってしまった。俺も山を下りてすっかり安心しているのだ。そして俺の探検ごっこに付き合わされたケンタは「やれやれ・・・」という表情をみせて鼻をフンッと鳴らすと静かにウンコを終え、雪道をシャキシャキ歩いていった。