どうやらまたサッカー三昧の日々になりそうな予感がする。というのも、少年サッカー時代の同窓会をすることになったのだ。例によってまた幹事である。面倒くさいけど、集まるのが気の知れたサッカー仲間なのでけっこう楽しかったりもする。
そして週末また、少年サッカー時代のコーチ「ミチバさん」に呼ばれて試合に行ってきた。そこでダイ、フウタ、シカちゃんといった少年サッカーの仲間とも再会。ダッチョも肉離れの足をひきずりながら参戦。ショウゴは試合直前に急に音信不通になり、結局ドタキャンということになった。きっとパチンコでも行ってたんだろう。
ミチバさんの車に揺られること30分、着いたのは滋賀県大津市にある皇子山総合運動公園陸上競技場という、えらく立派な名前のついた所だった。着くやいなや、立派な建物がドン!と目に飛びこんできたので、もしや、えらく本格的なグランドで本格的なチームを相手に戦うんじゃあるまいかと俺は内心焦ってしまったが、それは他の仲間も同じようだった。皆して恐る恐るそれに近づいていくと、それは体育館だった。あれ?と思って総合案内の看板を見ると、グランドはその奥にあって普通の土のグランドだったので、ここでようやく安心した。しかし安心するのはまだ早かった。グランドは普通だったけど、相手はしっかり本格派だったのだ。相手チームは試合開始前に円陣を組んで気合いの掛け声のようなものをかけていた。一方こっちのチームは円陣など頭の片隅にもなく、すでにそれぞれグランドに散らばっており、結び忘れた靴ひもを結びなおしたり、ワキの臭いを気にしたり、あくびをしたり、まったくバラバラである。試合結果は言うまでもなく負けで、それも5対0の大敗だった。しかし意外にも試合内容はそれほど悪くはなく、それなりにサッカーの形になっていたので次の試合に期待がもてた。試合に行くのを嫌がってた俺の口から「次」という言葉が出るとは思わなかったが、この試合で自分がまだスポーツできる体力が残ってることを実感できてしまったので、ちょっと嬉しかったのだ。先週までは「サッカー熱はしだいに冷めてきた」と言ってたのに今週は「またおもしろくなってきた」などと言ってしまう気まぐれはどうにかならないものか。しかしまあ、気持ちは健康的な方向に向きなおしたので良しとしよう。良しということにしておくほうが良いのだ。
スポーツの秋というのはもっともで、この季節の寒さはスポーツをしていると誠に丁度良い温度である。夏のように汗でずぶずぶにならないし、喉もそんなに渇かない。なんとも丁度いいのだ。
そして秋つながりで強引に話を変えてしまうようだが、秋とくれば読書の秋でもある。もう俺の秋は教科書通りそのまんま読書の秋!という塩梅である。この秋は苦手な小説にも挑戦してみたが、やっぱりどうも馴染めない。どんなに精巧な創りの小説でもそれは結局は虚構の世界だし、そんな考えが頭にあるとどうしても話の内容に入り込めないのだ。この作家は専門外の分野をよくここまで調べあげたなぁ、とか、なんだか設定した状況の説明ばっかりで面白くないぞ、とか、読みながら話の内容とは全く別のことを考えてしまうので、やっぱり俺に小説は向かないみたいだ。
やっぱり一番好きなのはエッセイである。あくまで現実世界の話であるし、書く側も読む側も人間的なペースでいられるのが良い。以前に「俺はあとがきを読むのが好きだ」と書いたが、あの「あとがき」こそ究極のエッセイなんじゃないかなぁ、と思う。どの本にも「あとがき」があればいいのになぁ、とも思う。例えばこれを書いているパソコンの傍らに散らばっている経営学関連の難しい本、「アメリカ経済史の新潮流」や「現代社会簿記論」など、小説とはまた比べものにならないほど読む気がしないものだが、最後に著者の「あとがき」がついてて、そこに「難しかったでしょ、ごめんね。でもこういうのって、書く側も難しくて本当はイヤなんだなぁ」なんて書いてあれば俺としても、「そうかそうか、大変だったんだねぇ。ようし一丁アタマからちゃんと読んであげようネ!」という気になる。「その努力の結晶、しかと受け止めようぞ!」という気にもなる。あとがきは大切なのだ。
あとがきというものは本以外のところで存在しないのかなぁと脳ミソをぐるっと宙返りさせてみたら、あったあった。居酒屋にあった。たとえば美味しい酒を飲みながら口にした肴がメチャクチャ美味しかったら、それをおかわりするときに、店の大将とその一品について少し話をするでしょう。「このイカの沖漬けメチャクチャ美味しいですね」「あ、それは先週末に越前のほうに釣りに行きましてね、ケンサキイカがいっぱい釣れたんで保存用に沖漬けにしたんですよ。もう2、3日早ければお造りも美味しかったですよ~」なんて話を少しする。この場合、イカの沖漬けが本の「本編」で、大将の話が「あとがき」なのである。このように、あとがきの有ると無しとでは気分が全然違うのだ。
と、もう少し「あとがき」の話をしたかったのだが、ここで魚介類が出てきてしまったので話は急速に魚介類方面に向かう。ずっと読んでくれている人はご存知の通り、俺は魚介類に目がないのだ。「ウニ」と聞けばクラッとし、「モンゴウイカ」と聞けば身もだえ、「カツオ」と聞けば卒倒する人間なのだ。そしてそれらは生がいい。「生」が付くと、地方公務員から大臣クラスまで格上げしたい気分になる。そいつが「生」であることを褒め称え、おでこの辺りをナデナデスリスリしてやった後、おもむろに包丁をふりかざしキレイに捌いて皿に盛りつけ、一礼してから食うくらい「生」はエライのだ。そしてその晩寝床に就いたら、ゆっくり消化されゆくお魚たちを偲び己の腹をさすり、次もまた魚介類として生まれてこいよなぁ、また生のまま俺の食卓に出てこいよぉ、とささやきつつ眠りに就くのだ。うん。
話は飛んで、ある日。学校から家に帰ると玄関に置き書きがあって、両親とも仕事で今日は帰れないという。妹も友達の家に泊まると聞いていたので、その日は家に一人ということになった。せっかくだし友達とどこか飲みに出ようかと思ったが、月末ということもあって財布がさみしい。そこで、スーパーで好きなものを買ってきて家で一人晩酌することにした。飲みに出るよりは数段安くつく。
バイクをびょーんと走らせて近所のスーパーに到着。もう閉店一時間前なので、いろんな商品に半額シールが貼ってあった。特に生鮮食品にそれが多い。店をぐるっと一回りして、ウマそうで安いものをカゴにどんどん入れていった。カツオのたたき、ししゃもの一夜干し、イワシ丸干し、きす、あさり、めかぶワサビ、クッピーラムネ。これだけ買っても600円。レジで気付いたのだが、クッピーラムネ以外はすべて海産物だった。どうやら、魚介類の話はまだ終わっていないようだ。
家に帰ってさっそく料理開始、の前にビールを一杯。クッピーラムネをかじりながら料理にとりかかった。まずあさりを茹でて、同時にきすを少し炙る。その横で米をとぐ。茹であがったあさりの身だけをとりだし、といだ米の上にぱらぱら散らせる。炙ったきすの身もほぐして米の上にぱらぱら。そしてあさりを茹でてダシの出た湯で米を炊く。ここでビールをもう一杯。そして米が炊けるまでにイワシとししゃもを焼く。その間にカツオのたたきを厚めに切る。上にのせる玉ねぎスライスも用意。思いつきで料理したわりには豪華な夕飯になった。しかも大好きな海産物ばっかりだ。それを自分の部屋に持ちこんで、食いながら本を読んだ。ビールはしだいに焼酎にかわり、アテを追加し、気持ちよく酔いながら夜更けまで読書に没頭した。読んでいたのはもちろんエッセイである。そしてこの日は二つの「あとがき」とご対面した。
お、気がつけば「スポーツの秋」「読書の秋」「食欲の秋」すべて充実しているではないか。良いぞ良いぞ。そしてそんな秋にも、しだいに冬に遷りゆく気配がしはじめたのであります。