僕は何する人?息子の素朴な質問をうけて自分に問うてみた。

当サイトでは、著者ぼっくりが実際に買ってよかったモノや気になるモノなどの紹介に、一部広告リンクを使用しています。

テレビドキュメンタリーを見ていて、息子が言った。

休日にふたりの息子たちとテレビを見ていたときのこと。

華やかな赤い衣装に身を包んだピアニストの指が、鍵盤のうえで激しく躍動している。

「いや指先だけじゃないで、おばちゃん立ってるんやで!」

チョーナンが興奮気味に返してきた。

それはな、分かってる。

同じもの同じところで見てるんやからな。

興奮きわまり立ち上がってピアノを弾き続けるオネーサンを見ながら、そうか子供たちにはこれがオバチャンに見えてるんやなぁ…と、ぼんやりと思った。

ジナンはテレビをちらちら見ながらも、どちらかというと仮面ライダーの本のほうに夢中のようである。

 

「この人はピアノを弾く人。オトーサンは?」

と、突然にチョーナンが言った。

そう、この人はどう見てもピアノを弾く人。

ここまでになるまで、きっと幼少からずっとピアノを弾いてきたんだろう。

そして自分は?

 

ふとした一言から、ちょっとした混乱のなかに迷い込んでしまった。

僕は、何する人?

 

すぐに口をついて答えられなかったことを誤魔化すように、チョーナンに

「チョーナンは、何する人?」

と聞き返してみたら…

「学校いく人!小学生やもん!」

と即答してきたので、

「オトーサンのなかでチョーナンは、絵を描く人かなぁ。絵ぇ上手いもんな!」

と返した。

 

僕は、何する人?

 

現実とのギャップ。

僕ぼっくりは、

「文章を書く人!」

と答えたかったのだ。

実はもう、その瞬間に分かっていた。

 

僕はうどん屋を経営していて、おそらく誰がどこから見ても「うどん屋」だろうと思う。

だけど、修業時代から数えても、うどん屋やってる期間というのはたったの9年そこいらである。

 

もっともっと、僕が魂こめてずっとやってきたことは、文章を書くこと。

僕は物書きになりたかったのだ。

 

だけども、いざ職業を決める年齢のときに、その勇気はなかった。

実力もなかった。

じゃあ出版業界へと進めばなにかしらヒントがあるんじゃないか?とも一瞬思ったけど、他人の書くものに興味もなかった。

僕が好きな作家は、たった一人だったから。

小5のときに書店で出会ったその作家の文章以外には、まったく興味が無かった。

 

ずっと細々と、自分の文章も書いてきた。

小さなノートにずっと書いていて、大学生になりパソコンを手にしてからはブログを書いた。

ブログだけで期間をカウントしてみても、もう20年以上になる。

それが今こうして繋がっている。

 

僕は「物書き」と言いたい気持ちがよみがえり、息子の問いにすぐ答えられなかったのだ。

 

半分物書き、半分うどん屋。

あまり大きな声では言えないけれど、実は半分物書きではある。

いわゆる、ブログで少しばかりの収入を得ているからだ。

物書きというのは職業として文章を書く人を指すので、まあ「物書き」と言えなくもないのである。

 

だけど表向きに堂々と「ブロガーです!」というのも、なんだか変な人だとか不思議オヂサンっぽくなってしまうので気が引ける。

だから普段「何してる人ですか?」と聞かれたら、迷いなく「うどん屋です」と答えている。

まあ、うどん屋だからね。

実際うどん屋の営業を中心に、生活は回っている。

れっきとした、うどん屋だわ。

 

それが…なんだろう。

感動的なドキュメンタリー番組をみて感動していたからか、それともカッコつけたかったからか。

「物書き」への熱がムクムクと膨らんでしまっていたのだ。

 

そんなときにチョーナンから

「オトーサンは何する人?」

ときたもんだから…

 

チョーナンは、絵を描く人。

チョーナンは「小学生!」と答えたけども、僕からみたらこの子は「絵を描く人」だ。

物心ついた頃から絵を描くのが好きで、なにか紙をみつけては描いていた。

完全に自己流なのだがどんどん上達し、小学3年生の今はハッとするような素敵な絵を描く。

なんだか味のある、どことなくノスタルジックで、おもしろい着眼点の絵なのだ。

 

どこかに絵を習いに行かせようか?とも思ったのだが、教えられると型にはまってしまうかもしれない。

今このままの味のある絵がイイのであれば、あまり大人から指摘をうけない方がいいではないか。

いずれ中学生にもなれば美術の授業などがあるし、描き方のセオリーや方法論などを学ぶしなぁ。

でも、誰かに評価してもらうことでモチベーションが上がるという面はあるかもしれない。

 

そうだ、NFTアートとして出品してみたらどうだろう。

評価されるかされないかは置いておいても、広く見てもらえる場には違いない。

しかも国境がない、全世界が舞台になる。

絵画レッスンに通わせるよりも、僕なりの考え方と方法でいくほうが良いかもしれない。

いずれこういうテクノロジーにたくさん触れていく子になってほしかったから、なおさら良い機会かもしれない。

 

自分の小さな頃の「物書き」への想いと、今の息子の「絵描き」への想いが重なって、なんだか妙に力がみなぎってきた感じがした。

書く人と、描く人かぁ。ステキやんか。

あ、あくまでこれは僕のアタマのなかの話なので、ちゃんとチョーナンと話しながら本人の意志とともに進めていけたら良いなと。

暴走オトーチャンになって「NFTだ!デジタルアートだよ今はぁぁ!!」とか言い出さないように気をつけようと思います。

 

そして僕はせっかく自営業で自己責任において何を書いてもよい立場になったんだから、書きたいものをどんどん書いていこうと。

胸張って「物書きだよ」と言える場面も、自分が作ってくんだからなっ。