奄美諸島テント旅 【離島ホッピング】

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鹿児島県の奄美諸島へテント旅。
 まず飛行機で降り立った奄美大島の滞在期間はとても短かったけど、前回の渡島時に仲良くしてくれた人たちとの再会をわずかながら楽しんだ。そしてやっぱり、奄美はどこか温かい。気候が暖かいということではなく、なんだか「帰ってきたぞ」と思える島なのだ。人といい、食べ物といい、でっかい自然といい、おかえりなさいを感じるのである。ヤドリ浜でちょっと泳いで魚と戯れたりして、すばやく名瀬の宿で就寝。早朝からフェリーに乗るのだ。

 そして駆け足で沖永良部島へ。奄美大島の名瀬港から船に揺られること6時間、圧倒されるほどの蒼さの海のうえにぽっかりと浮かぶ沖永良部島にぐんぐん近づく。上陸してみると、すっかり現代から取り残されたような、とてつもない異空間であった。きっと俺の親の青春時代は日本中こんな風景だったのではなかろうか、と思えるような、懐かしいというより「知らないほど古い」光景であった。しかしこの島もこんな姿で平成を現在進行しているのである。日本って広い。
 この沖永良部島で2泊3日。ひたすらその蒼い海に魅せられ、ひたすら泳いだ。嵐にもたたられてテントで濡れながら寝て、泳いで、洞窟探検して、公衆トイレの屋根のうえで寝袋にくるまって星空を眺めながら寝て、さとうきび畑をかけまわり、地元の青年たちと仲良くなって島のイセエビと夜光貝と魚の踊り狂うバーベキューにお呼ばれし、海を眺めながらウクレレを弾いたのである。もしかして、過去の島旅から考えてもいちばん感動した島だったのではなかろうか。

 さらに離島ホッピングは続く。次は与論島へ。ここではたったの1泊。小さな島だとナメてかかっていたが、灼熱の南国の太陽の下で20キロのザックを背負って歩くのは、ゲロが出そうなほど地獄であった。海に潜ったかのごとくドボドボの汗まみれのTシャツ姿の俺に突然、神様のような「車乗ってけ」の声。声の主は、東京からこの島へ移住してきたイケメンおじさん。予定のテント場までの道中を、観光ガイドしてもらいながら進む。車中のクーラーが気持ちよすぎて悲鳴をあげそうになった。
 そうしてたどり着いたテント場には、なんと1泊600円のバンガローがあるという。すぐさま申し込む。なにせ連日のテント泊と暑さで体の疲労はピークに達していたので、そろそろ硬く乾いた床と頑丈な屋根が恋しくなっていたのだ。しかしその選択が間違いだった。夜、炊事をしようとすると、食材のにおいを嗅ぎつけた野生の巨大ゴキブリの大群に襲撃を受ける。デカイし強いしひるまない。今まで見たゴキブリの中でダントツの生命力で、大阪のオバチャンそのものである。そいつらと素手で戦いながら粗末な夕食を終え、次は小型アリの大群がその食器に群がる。その群れの密度はまたまた過去最高のもので、床をうめつくす真っ黒なアリの大群に食われるかと思ったくらい、かつてない恐怖体験であった。これ、ぜんぶ大袈裟じゃないからね。
 やっと得た硬い床の安眠などは全くなく、換気のわるく蒸し暑い狭いバンガローの中で大量のアリに噛まれながら、安眠のカケラもなく朝を迎えたのであった。しかしその朝見た海の美しさは、なにものにも代えられない感動の色をしていた。

 そして与論島から船で揺られること8時間強、ふたたび奄美大島へ。2年前にお世話になった安宿「たつや旅館」は満室であった。仕方なく、近くの「すみ旅館」へ。ここも安かった。4畳半の狭い部屋でザックを開くと与論島のアリがぶわぁぁーっと出てきた!ごめんなさい女将さん。やっとタタミの上での安眠を得て(与論のアリに囲まれていたが、現地のアリの群れに比べればカワイイもんである)、翌日はもう帰る日である。あわただしいけど充実した1週間の離島ホッピングであった。そして朝がきてやっと島の寿司なんぞを食って贅沢をしたあと、またまた優しいオジサマとの出会い。空港まで車で送ったるわーという魅惑のお誘い。なんでも空港の近くに住んでるから、ときどき観光客らしき人を送ってしゃべりながらドライブを楽しむのだという。おお、空港までのバス代を島に落とさなくてもいいのか、俺は。都会で稼いだ金はどんどん島に落として帰ろうと思っている俺は、ちいさな罪悪感を感じながら、要所要所観光させてもらい、空港へとスーっと到着してしまった。タダだぞ、いいのか。そしてガサツな大阪へと飛ぶ俺の心は重いのなんの。
 1週間の夢の島めぐりはあっけなく終わり、ガメツイ現実へ。