自転車競技ぼっくり復活劇場

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淀川ミニベロ走行記

 半年前にミニベロを買った。ミニベロというのは小さなホイールの自転車のことである。ネット通販でニーキュッパで手に入れて、気軽にルンルンルルンとサイクリングを楽しむつもりだったのだが、ハンドルの形状がいけなかった。非常にいけなかった。それはロードレーサータイプの、いわゆる「本気な」ハンドルだったのである。がっちりとレーサー魂に火がついてしまった。
 以前は僕もレーサーだったのである。しかもインターハイや国体や実業団レースの経験もある、かなり本気なロードレーサーだったのだ。もう、火がついてしまって、鎮火するどころか炎上して延焼して、昔使っていた本気なレースシューズを引っぱり出し、ヘルメットを買い、あのピチピチパンツまで履いてしまった。もう山火事状態である。ニーキュッパのミニベロが火を噴いているのだ。

 先日、実家の京都岩倉から桂川CR(サイクリングロード)を南下し、門真市の自宅に帰ろうと飛ばしていたが、淀川の始点である御幸橋あたりで物足りなさを感じ、まっすぐ帰らずに木津川CRに突入。その終点の泉大橋まで走って引き返し、また御幸橋にもどってやっと淀川を南下。門真市の自宅に着いたころには、走行距離は107キロに達していた。

 家に帰ったら帰ったで、インターネットでヨーロッパのレース動画を見ては興奮し、スクワットなんぞをやったりしている。もうこうなったら、昔のような本気なロードバイク(自転車ね)を買ってレースにちょろちょろと出てみようかとたくらんでいるのだムフフ。
 だからきっと今日からは、ここに書くのも自転車トレーニングの内容が増えるのではないかと思う。というか確実に増える。だって火ぃボーボーなので仕方なかろう。許しておくれ。

 それでも島旅は続いていて、去年の夏には三重県の神島にテント泊し、鹿児島県の奄美大島・沖永良部島・与論島もテントかついで転々とし、この冬には小豆島・沖之島・小豊島・豊島をぴょんぴょんと島ホッピングしてきた。次は夏の家島になりそうだ。

 

我が家にロードバイクがやってきた

 ついに我が家にロードバイクがやってきた。ANCHOR(アンカー)というブランドのRA5というアルミ製のモデル。ロードレースを引退して9年ぶりに手にした、久々のロードバイクである。
 すっかり忘れ去ってしまっていた自転車の魅力を思い出させてくれたミニベロを買ったのが、半年前の冬。すっかり楽しさを思い出してしまい、今またこうしてロードバイクに乗っている。やっぱ好きなもんは簡単には忘れられへんね。

 

夏の成果

 コレです。キモいでしょ。笑
 毎日ピチピチのスパッツみたいな自転車用パンツはいてたんで、こんな日焼けになりました。

 これ、温泉とかで恥ずかしいんですわ。しかも自転車競技をする人はスネ毛も剃るんでツルツルです。これもまた、温泉とかで恥ずかしいんですわ。
 これだけクッキリと痕がつけば、冬を越したって消えません。そして来年はさらにその上に日焼けを重ねて、どんどん消えなくなっていくんでしょうね~。さすがに9年自転車競技から離れたときには日焼け痕も消えましたが、完全に消えるまでに3年くらいかかりました。
 せっかく自転車を趣味として再開させたので、最前線で戦おうとしなくてもいいから、できる範囲でがんばって、できるだけ永く続けていけたらと思います。

 最近、朝晩がだいぶひんやりしてきて、ようやく長い夏が終わりそうだなーと感じてきました。夏の終わりという時期を毎年迎えて28回目ですが、いつもなぜか寂しい気分になりますねぇ。何なんでしょう、この気分は。
 明日からまた残暑の中を走って、残りわずかな夏を楽しもうと思います。

 

2010秋の舞洲クリテリウム参戦記

 今日はレースのために休みをとっていて、なんとか仕事も間に合わせられた。やれやれ…。

 待ちに待ったレース当日。「第13回サイクルロードレース大阪クリテリウムin舞洲」通称「秋の舞洲クリテ」。これが9年ぶりの復帰レースである。
 結果は、オープン2クラスで3位入賞、オープン4クラスで2位入賞。正直、優勝を本気で狙っていたので悔しかったが、しかし良い結果である。まあ、よかったよかった。

 オープン2クラスは、880mコースを15周回する13.2kmのレース。全体のスピードこそ速いものの、序盤は大きな展開もなく散発的な逃げが時々出るくらいで、大集団のまま安定して進む。それでも渋滞の原理で、カーブのたびに減速→加速のインターバルを繰り返さないといけない集団後方の選手はしだいに力尽きていき、集団はだんだん小さくなっていく。このインターバルを嫌った僕は、風の抵抗を避けつつインターバルのかからない、集団のいちばんオイシイ位置である4~5番手をキープ。というか死守。
 スプリントにはある程度の自信があったので、できるだけフレッシュな状態でゴール150m前まで行けたら、優勝の可能性が高いと踏んでいた。
 それにはまず、決定的な逃げを許さないこと。散発的な逃げが出たら、他選手に追わせて脚を使わせること。さらにその追走の選手の加速を利用して自分も加速し、集団のペース全体を上げることで集団後方のインターバルをさらにキツくし、ゴール前までにできるだけ集団を小さくして勝算を上げておくこと。この作戦をもってレースを進めた。
 レースはラスト3周で動いた。作戦どおり小さくなった集団から単独のアタックがかかる。自分では逃げを追わない作戦なので、続いてまもなく飛び出した追走選手の後ろに飛びついた。勢いがよかったので集団とだいぶ離れて、自分を含む3人が合流し先行する形となった。これがラスト2周時点での動きであれば、迷わずこの3人でスピードを上げて逃げ切り優勝を図ったが、ラスト3周は逃げきれる距離ではないと判断し、自分1人だけ集団まで下がることにした。これが失敗1。集団はすでにかなり消耗していて、もうこれ以上スピードを上げて逃げを捕まえられる体力は残っていなかったのだ。そのまま3人で協調してスピードを上げて逃げ切り、ゴールスプリントを制して優勝すればよかったのである。
 集団を待った僕は、また集団から出た追走選手の後ろにつき、スプリント射程まで連れていってもらって、ゴール前まで逃げて消耗した先行の2人ともども抜き去って優勝する作戦に出た。しかし追走選手もすでに消耗していて、まったく差が詰まらない。もうゴールまで距離もない。これを早く見切ってラスト300mからスプリントしていれば先行の2人を捕らえて優勝できていた。これが失敗2。僕がスプリントを切ったのは予定どおりのラスト150m地点。スピードは十分だったのにスプリント開始が遅すぎて、先行の2人を捕らえるには0.9秒届かず3位。慎重になりすぎた故の敗戦であった。

 続いてのオープン4クラスは、550mコースを25周回する12.5kmのレース。先ほどの慎重すぎた失敗を悔いて、自らアタックし続けて攻めの走りで優勝を目指そうかと思ったのだが、スタートラインに並んでから作戦をあらため、やはり自分の武器であるスプリントで慎重に勝算を上げて勝負する流れを作ることに決めた。ただし、先ほどの失敗レースの教訓から、もっと柔軟に作戦変更もすることを念頭にスタート。
 …もう、作戦はほぼ全て成功した。集団ゴールスプリントも制した。しかし、スタートから単独で逃げ切り優勝した、もう全く相手にならない別格の強さの選手がいたので、結果はそれに次ぐ2位であった。追っても到底捕らえられなかっただろうし、2位の単独追走として逃げ切る脚質でもない。どうあがいてもこのレースでは自分の最善で2位だったので、結果にも納得できた。集団スプリントは余裕であった。

 それにしても、2ヶ月みっちりトレーニングをして目標にしてきたレースは、あっという間に終了。結果には、嬉しいけど満足はできない。また来年の春のレースで優勝を目指します。
 サポートしてくれた三浦輪業の仲間たち、応援してくれたロードバイク大阪の仲間たち、忙しい日に休みをくれた職場のみなさんに感謝。
 また4月のレースにむけて、サイクリングペースの基礎練習からやりなおします。

 

2010 冬の長良川クリテ 参戦記

 なっかなか書かなかった12月5日の長良川クリテのレポート、いよいよ。年末商戦真っ只中のぼっくり、ちょっと書く余裕なかったのです、スマンスマン。
 ということでタイムスリップ12月5日(日)快晴へ、いざ!!

 今回は毎度おなじみカズミさんと、同じクラスに出場。念願の「いっしょにエントリー」なのです。こりゃワクワクだ。
 出場するのは「2010チャレンジリーグ 冬の長良川クリテ スポーツⅡ 2組」です。このレースの面白いところは、各カテゴリー各組の上位入賞者が第2ラウンド・第3ラウンドと勝ち進んで、最終的にはトップカテゴリーであるエリートクラスの上位入賞者たちとも混走できる決勝戦があることだ。こりゃ是非とも生き残って、プロクラスのスピードを体感してゼェゼェハァハァ言ってみたいなぁ…と、やっぱり1サイクリストとしては思ってしまうワケである。
 そんな、最近の練習量の少なさをすっかり忘れた少々鼻息のあらい僕とカズミさんと応援のKは、一路大阪からダダダッと岐阜県の長良川河川敷レース会場に駆けつけたのである。途中のパーキングエリアでよもぎ餅なんぞを補給しつつ到着したことも、一応ここに報告しておく。

 さて、到着した河川敷は、そのまま即座に戦意喪失して芝生でうすっぺらいハム入りサンドイッチを頬張りつつレジャーシートのうえでゴロゴロと寝ころんでゲームウォッチなんかをしていたくなるくらい平和な光景で、でも確かに自転車レース会場とだけあって自転車が多いな、という感じ。とてもアットホームな雰囲気だ。サンドイッチ持ってこなくてよかった。うっかり雰囲気にのまれて目的を忘れるところだった。
 やっぱり出るからには勝ち進みたいと思ってしまっているオロカな僕たちは、それなりにレース前にウォーミングアップをする。わがチャリンコにまたがって河川敷を流して走ってみると、やっぱり強そうな人たちが同じように足を温めて走っている。その一団に混ぜてもらって、風を除けつつ足を温めていった。調子はどちらともいえない。正直、ガツンと踏んだときの反応は鈍く、体はしっかりと重く、心拍はすぐに上がってしまうような、ベストパフォーマンスからはほど遠い仕上がりであった。この状況でベストな結果を生み出せる走りは何か。このウォーミングアップで解が明白になり、勝負どころ以外では温存、勝負どころでは全開、しかし持続しないので慎重のうえに慎重に…という消極作戦に出ることにした。そしてやはりカズミさんと勝ち残って、一緒にたくさんレースを走りたい。入賞したい気持ちより、二人でたくさん走りたいという気持ちが強かった。

 そしていよいよスタート。集団は密集していて、接触も多い。スタート後、先頭はこのレースのホストチームであるマトリックスが牽いていたのだが、あろうことか、その先頭のマトリックスのメンバーの誰かが不意に急ブレーキをかまし、3番手あたりにいた僕も進路変更だけでは間に合わず急ブレーキ、このブレーキは集団後方まで伝線していき、しまいには「ガガガガガッ!!」と集団内からクラッシュの音まで響いてきた。「なんや今の減速はあぁぁ!!」と怒号が飛ぶ。前方では小さなブレーキでも、集団後方では渋滞の原理で、クラッシュに繋がるほどの大きな急減速になってしまうのである。本当に注意してもらいたい。集団内ではブレーキはあくまでスピードコントロールの補助程度に使うものだ。
 そして、まさかこの時点で大事はないだろうと思っていた。

 その後も安定したスピードの集団のなかでカズミさんが並走してこないことを不思議に思いつつレースは進む。3kmのコースを5周のスポーツⅡ2組のレース、途中で小さなアタックなどが何度か出るが、規模が小さすぎて逃げは決まらない。皆、ゴール勝負を望んでいるような展開だった。これは勝てるパターンの展開であった。とにかく集団内での接触を避けつつ
温存する走りに徹する。しかしこれが少々の誤算、しっかりトレーニングを積んでいる時期のスプリント力にはタイミングさえ合えば多少自信をもっていいスピードがあったが、数ヶ月まともに乗れていなかった僕には、前回のレースのいいイメージだけが体に残っていた。少々ロングスプリントになっても逃げ切れる気になっていた。しかし実際は…

 最後の5周目に入り、集団の中にもポジティブな逃げ切りへの動きが頻繁に見られるようになった。しかし終始スローペースで進んだ集団は誰もが力を温存している状態。そこそこ有名な選手の逃げ切りはマークされていて絶対に決まらない。隙をついてのノーマークの選手の逃げ切りだけに注意する必要があったが、それもない。そしてゴール前800m、700m…いよいよ誰が仕掛けるか、という場面、500m、400m…誰も出ない!こらえきれず集団の2番手にいた自分が、トップコンディションであった夏の頃の感覚でスプリントの先陣を切ってしまう。踏み出した瞬間にキレの重さを感じ敗北を自覚するが、出たからにはもうゴールまで踏み倒すしかない。優勝は無理でも表彰台を目指して踏むしかない。踏み出した瞬間に集団にちらっと視線をやったが、まさに僕のつくったスプリントのきっかけを待ってましたとばかりの満面の力顔。
 きっと夏だったらそのまま勝てた。踏み込みから200mまでの瞬発はそうそう負けないスピードがあった。しかし、ここから始まる彼らのスピードは、シーズン外れの12月のレースとは思えないもので、表彰台に食い下がることもできず僕は4位になり、優勝はなんと58歳のサイクリストであった。情けないとかの感情を通り越す、ブラボーな勝利である。
 レース後、すぐにカズミさんの順位が気になって辺りを見回す。カズミさんはいない。しかし、もしレース序盤から僕の後ろに陣取っていられたなら、確実に集団内で進路を開けて展開しつづけたので勝ち残りの上位13名にも入れているはずだ。もし集団内で位置取りを落としてしまっていたなら、結果は分からない。

 Kの待つスタート・ゴール地点に戻ると、カズミさんがいた。
 いちばん恐れていたことに、スタート直後のクラッシュに巻き込まれてしまったらしい。しかも、あのスタート直後のクラッシュ音のそれこそがカズミさんのものだったのだ。あの前方からのハードブレーキング時に、並走していた高校生の前方不注意・ふらつき斜行によってクラッシュしホイールを損傷して走行不能に。スタート後300mほどの出来事であったそうだ。
 これを知り、しばし言葉を失う。あのとき、僕がブレーキではなく横に急旋回していれば集団内にまでクラッシュの危険は及ばなかったかもしれない。しかし、今どう考えても「…たら。…れば。」はとり戻せないものである。
 僕には、カズミさんの分も勝ち残って、次に向けて勝つための経験を積むしかなくなった、というか、それを得ずしてどうして帰ろうか!!という気迫がだんだん芽生えてきた。

 次の勝ち残り第1戦は「ネックス杯Round2」とネーミングされた、スポーツクラスⅠ・Ⅱの上位者の決勝戦。さすがに走り慣れている選手ばかりなのだろう、落車につながるような走行はなく安全に、しかし駆け引きが上手い。コーナーでスピードが落ちたところからのアタックや、集団が牽制状態になりスピードダウンしたところから道幅の端から視界ぎりぎりにアタックしたり、アタック自体もフェイントで付いてくるメンバーの見定めのためだったりと、集団のゆさぶりかたも油断ならない。しかもこのクラスになるとチームごとにアシスト役がいて、下手に追いかけると無駄に足を使わされるだけで、ゴールは満を持してエースが狙うという構図。単独での挑戦はやはり慎重さが必要になる。
 しかし今回のレースは慎重さが仇になった。ラスト500m、ずっと集団で温存していた青いジャージの選手がアタック。猛烈に追走したのは、これまたずっと温存していた赤いジャージの選手。渾身のスパートで赤いジャージが追いつく。そして差し切る(抜き去る)。優勝である。一瞬の判断であった。その「勝ち」への一瞬の判断のゆるんだ3位争いの集団は、ここまで良い位置取りをしていたのに順位を瞬時に奪われて失意のゴール。僕も5位でフィニッシュ。どうせなら敗北で、帰宅!!と、すっきりしたい気持ちであったが、上位に食い込んだために最終の決勝までコマを進めることとなった。

 勝ち残り第2戦「ネックス杯Round3」(最終)は、ビギナークラス・スポーツクラス・エリートクラスの上位15名の混合での頂上決戦、いよいよ来ました、この時が。僕が若かりし現役の頃に身を置いたエリートクラスのスピードへの、約10年ぶりの再挑戦です。
 緊張感はなかったけど、やはり走り出してみると、違う。走り方やラインなどは感覚を思い出して順応できたものの、やはりコーナー立ち上がりの1踏みのパワーが全然違う。コーナーごとに置いていかれる。しかし絶望するほどの差ではない。トレーニング次第で埋められる差だな、と思いつつ走っていた。逆に来期が楽しみになる敗北であった。
 結果は24位。完敗。負けは負け…しかし楽い「負け」だった。こういうこともあるんだなぁ。

 トップゴール者はこれぐらいのスピード維持パワーを持ち、こういう走りをして勝つ。負ける者はここが足りなくて、こういう走りに陥り、こうして負けていく。それがはっきりと分かった。
 僕は100km以上の純粋なロード-レースでの勝利を狙っているわけではなく、富士山のようなヒルクライムレースを狙っているわけでもなく、ただただ20km前後の短距離クリテリウムレースでの勝利を狙っている。もっと言えば、ただ勝利を狙っている。
 2011年はそれを果たします。ただそれだけ。どんなクラスのレースでも、勝った者にしか見えない景色があるでしょ。

 今回はカズミさんと2人での参戦で、結果は良くなかったけど、これからは…。

 2011年から、自身でチームを立ち上げます。チーム名は「NEXTREME」(ネクストリーム)です。
 どちらかと言えばレース指向のチームです。集まった仲間で共により上をめざしていけたらな、と思っています。